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17 2014

真田山陸軍墓地(3)@大阪

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この史跡は5回シリーズです。
追記改訂の上サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 史跡 > 近代 > 関西 > 大阪 よりどうぞ。

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今1時前。
しんどくてちょっと寝てたら日付跨いじゃった…
テレビ掛けたら中村獅童が伊藤博文のコスプレして歌い踊り狂ってるんだが。
え、なにこれこわいwwww
坂本龍馬とか西郷隆盛とか陸奥宗光のコスプレして歌い踊り狂ってるんだが。
ちょw夜中になんてもの見せるNHK教育(!)wwww
目が覚めたじゃねえかwww


お、大阪天王寺にある真田山陸軍墓地、続き…

普通に地図出すよりグーグルアース見た方が分かりやすいことに今更気づいた。
先日宰相山公園を目指せばと書きましたが、よく見たら宰相山西公園でござった…orz
宰相山公園は真田幸村の抜け穴がある三光神社の方です。
そそっかしくてごめんね(てへぺろ)(きもい)


真田山陸軍墓地_グーグル


昔はもっと広大だったものの、昭和3年に小学校を作るからということで、南側の土地を譲渡した(現市立真田山小学校)。
また飛び地を騎兵第4連隊用に用途変更する等で、現在の面積は最盛期の約半分になっています。

上空から見たら畑の畝のように見えますが、これ、全部個人墓碑です。
幾つかのブロックに分かれている。


① 日清戦争・台湾領有戦争 軍夫・職人などの墓
② 西南戦争 戦没者・病没者の墓
⑤ 日清戦争・台湾領有戦争 戦病没した兵士の墓
⑥ 日露戦争 戦病没した兵士の墓
⑦ 将校 墓


番号飛んどるやんと自分で突っ込んでみる。
真田山陸軍墓地維持会が纏めたナンバリング(アルファベットだけど)の通りに番号振りました。
振った後に気付いたんだけど、それは階級毎のブロック分けだった。
軍夫役、兵卒、下士官、将校といった感じで。
…修正できなくなった後に気付いたんだよ!(笑)
ごめんねそそっかしくて!(笑)(作り直す気はない)

階級ごとではちょっと分かりにくいかなと思いまして、ナンバリングはそのままで、大体どこのブロックにどの戦争の戦没者が眠っているのかを纏めてみました。
とはいえ、厳密ではなく入り混じっている所もあるので、中心になっているのがこの戦争で亡くなった方々、という感じでお願いします。
また平時に軍務についている最中に亡くなっている方もこちらの墓地には含まれています。
大工さんのお墓とかもあるで。

ちなみに③の所に一番古い墓碑(明治3年)、①の右上の辺りに清人・ドイツ人捕虜の墓碑、⑥の左下の辺りに徴兵令以前~西南戦争以前の墓碑があります。
一番下に真田山小学校がありますが、ここが昭和初期に割譲された所。
⑥にこの墓地でも古い時代のお墓が集まっていることから、墓地の南部に古い時代の墓碑があったことが想像されている。


真田山陸軍墓地


②から①を望む。


真田山陸軍墓地


入り口の方から①の墓碑群を臨む。
日清戦争関係の墓碑です。木の奥に見えているのが、西南戦争関係(②)。

こちらの墓碑、古いものであればある程、経年劣化による崩落、破損、落剝が半端なく進んでおります。
そもそも砂岩でできているので脆いのよ…
早急な保全保護の対処が必要なのは明らかです。
現在こちらは維持会と地元のボランティアの方々が維持活動をされているそうですが、墓石の修復なんかはどうなってるのか分からない。
国に要請はしているようですが、寄付を募ってらっしゃるあたり、多分行政は動いてないと思われます。
本当はこういうことこそ行政がしないといけない筈なんだが。
国の為に亡くなった人たちやぞ。


真田山陸軍墓地


墓碑に刻まれている文字が見えます。
「明治十年鹿児島縣賊徒征討之役」とある。見えます?
元の大きさの写真でも光の加減で字が読めないんですが、
?月6日に負傷、鹿児島県日向国臼杵郡でどうにかなって、?月2日に大阪陸軍臨時病院で没している。(鹿児島県日向国って変ですけど、そう書いてあるので)

西南戦争以前の、本当に初期の墓碑には出身地、だれだれの次男、どこどこでどうなって、いつ亡くなったということが書かれているものもある。
研究会がすべての墓碑の碑文を文字に書き起こしているから、書かれていたことは残る。
残るけどね、研究書にも書かれていますけど、墓碑には亡くなった方の人生が刻まれてるんですよね。
先日墓碑を折ったり碑面を剥がした不心得の大ばか者がいると書きましたが、そういうの、本当に腹が立つ。
文化財とかそういう以前に人のお墓にそういうことをする神経が分からない。


真田山陸軍墓地


西南戦争(②)関係の墓碑の間を縫うように歩いていたら見つけてはっとした墓碑。

警部補心得 立見尚志之墓
 新撰旅団第四大隊第三中隊 明治十年九月九日死亡

写真には写っていませんが(左写真の裏面)、三重県出身。
三重で新撰旅団、それはモロ桑名ですね。
桑名で立見といえば立見尚文大将なんですが、え、なに、親族?

…と思いまして。
帰って調べたんですよ。
そうしたら立見大将の義父(伯父、養子に行った)が立見尚志なんですわ…
これってもしかして同一人物?
いやでも…警部補心得とはいえ戦争に出られるような年齢なのか。

自分でできる範囲でいくらか調べてみたんですが、立見大将の義父として名前が出てくる程度でどういう人物かは分からなかった。
『三百藩家臣人名事典』に載ってない時点で私にはどうしようもないわーorz
『立見大将伝』も近隣図書館にはなかったしなあ…

続きます 
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陸軍 立見尚文

2 Comments

月乃和熊(ツキノワグマ)  

興味深いですね!

どうもご無沙汰しております。
久々にコメントです。
これは、よく見つけましたね!
立見尚文といえば、幕末での敗軍の将でありながら、負け知らずの将軍。
その親族かもしれない方のお墓かもしれないとは、、、

2014/05/18 (Sun) 07:38 | EDIT | REPLY |   

ヒジハラ  

>月乃和熊さん

こちらこそご無沙汰しております!

自分でもよく見つけたと思いました…
これだけ少し飛び出てたんですよ、位置も、大きさも。
それで目に付きやすかったのがあります。
本当に関係ある方かどうか、確かめてみたいんですが今の所術なし、という感じです^^;

2014/05/18 (Sun) 21:24 | EDIT | REPLY |   

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