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05 2014

越中井・東町奉行所跡@大阪

 GW、思いの外忙しかったのですが、時間を見つけて史跡巡りをしてきました。
どこって?
大阪だよ!天王寺だよ!
(爆笑)
この前書いて、ちょっと行く気になった。
今まで行ったことがあるところが中心でしたが、行ったことがない所も含めて7・8キロかな~
駅で言うと天王寺夕陽丘(天王寺)から天満橋(大阪城の西)。


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/20140505.jpg


駅から安居神社(真田幸村の戦没地)、夕陽丘の史跡幾つか、真田山に行ってから北上。
北に向かえば大阪城があることは分かっているので、適当にぶらぶらしもって歩いていたら、細川ガラシャに関する石碑を発見。
そういや細川屋敷は玉造にあったな~と大昔読んだ三浦綾子の小説を思い出しつつ大阪城へ。
城は内側を通っただけで、地下鉄の駅に向かう最中でこれまたひっさしぶりに東町奉行所の石碑を見てきました。笑
いい天気だったのでちょっとしたピクニックでした。疲れたわー


玉造を歩いていたらやたらに大きな教会が…
大阪カテドラル聖マリア大聖堂とありました。


細川ガラシャ、高山右近像


高山右近も有名なキリシタン大名ですな。
どちらかというとこの人は高槻の方じゃないかと思うけど…
細川玉子(ガラシャ)は明智光秀の娘で、細川忠興の妻。

で、この教会のすぐ北側、大阪城のすぐ南側にあるのが越中井。


越中井


誤って解説版の写真を消してしまった…orz
この辺り、玉造に細川家のお屋敷がありました。
その細川屋敷の台所の井戸らしいよ!
関ヶ原の戦いの際、西軍に人質に取られそうになったガラシャ夫人が自刃…じゃないけど、亡くなったところでもある。
表の字は徳富蘇峰、写真はありませんが左側面の文章は新村出とありました。

新村は広辞苑の編纂者です。
この人の義姉が徳川慶喜の側室でして、少年の日の新村は慶喜の趣味であった写真の被写体にもなっている。
実父が木戸孝允と剣術の同門で、その縁から幕臣であったにかかわらず山口県令になったりしてまして、木戸家と付き合いがあり、京都二条にあった木戸邸の玄関が新村邸に移築されています(現存。見学可)。


大阪城


で、越中井の目前に広がるのが大阪城。
私の中ではここはお城ではなくなんちゃってお城である。
色々とお城に対する夢が壊れるのであまり行かない。でも石垣は綺麗である。うむ。

大坂城を西にぐるっと回って、合同庁舎1号館の前に建てられているのが東町奉行所跡の石碑。


大阪城、東町奉行所跡 


肝心な所に街灯が建っていて大変邪魔である。
ちょこっとだけ碧い瓦が見えているけれど、分かるかな~^^;
西町奉行所跡はここから少し離れた所にあるのですが、こっちは見たことない。
元々は東西隣合っていたそうですが、西は火事にあった際に移転しています。


東町奉行所跡


大塩平八郎は東町奉行所の与力でした。
また東町の奉行職を務めた人には、川路聖謨、佐々木信濃守、跡部山城守がいます。
矢部定謙は西町ですな。
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