桐野利秋、とある人物評(14)

ヒジハラ

引き続き川上親晴。

川上の話、実は私としてはちょっと取り扱いが難しい。
しかしここまで桐野のことを書いておいて、難しいからと言って川上を弾くのはフェアじゃないと思うので。
私としては川上は桐野の事を曲げて取っているのではと思う所があって、くどくどしく書いているのはそのこともある。なんかちょっとややこしい^^;

ただですねー…
かく言う私自身がちょっとフェアでないのではと、我ながら思う所があるのだ…
まず以前書いたような「こういう事を臆面なくやってしまう、言ってしまう人なんだな」という不信感(大袈裟)を、私はそもそもこの人物に対して持っている。これは桐野との関係を知る前からだけれど。
なのでやや予断を持って見てしまう所があるのではないかと。
加えてそもそも「桐野好き」「川上はあまり…」という気持ちが根底にはあるので、それで公平な目で見られるのかな、と。

長年お付き合い頂いている方には伝わっていると思うのだけれど、私ね、贔屓の引き倒しが嫌いなんだ。
「それはそれこれはこれ」で、好き嫌いとその人物が行った事跡の評価は別物だと思ってる。
そういう意味では、広瀬武夫の話も、秋山真之の話も財部彪の話も、随分書いてきたつもりです。
批判しているからと言って嫌いなわけでは無いんですよ。

そこを切り離して考えられるのは、私は自分で自分の良い所だと思っているのだけれど、この件に関しては、もしかしたらちょっと偏りがあるかもしれない。
出来るだけフェアでありたいけれど。

まあこんなこと言ってんな、という程度で聞いてくれ。


**

それでは有力な先輩の庇護を受けに吉田に行った川上親晴の話、続き。(『西南秘史川上親晴翁伝』)


さすがに桐野さんだ、吾々を叱るかと思ひの外、却へつて温顔をもつて迎へ極めて親切に慰撫され、ほかの連中も連れて遠慮なく遊びに来いとのこと。
吾々は盲亀の浮木を得たる心持ちで大変嬉しかった。


西郷隆盛に跳ね付けられ、郷党からは村八分ですからね。
桐野が何も言わずに歓迎してくれたことは流石に嬉しかったようで、それからしばしば吉田を訪ねている。
桐野の開墾を手伝っていますので訪ねるというよりしばしば滞留していたのでは。


桐野利秋田蘆跡
桐野利秋開墾地跡(の入り口)@吉田


私達はシャツ一枚となり畚(もっこ)や笊を担ぎ一生懸命巖石を砕いたり、大木の根を掘り取つたり、桐野さんを助けて開墾の手伝ひをやつた。<略>
これほど劇しい労働であつたが桐野さん自ら先頭に立つてやられてゐるし、また私達も先輩を助けてやつてゐるかと思ふとおのづから勇気づけられて少しも苦しくなかつた。


あー桐野だな、という感じ。
この人こういう事を人任せにしないというか。西南戦争の時もえ、それ桐野がするの?という事をしていますし。
そして二十歳ほどの川上青年が見たこの頃の桐野の様子は以下になります。


桐野さんは中肉中背で男振もよく、事に座談に巧みで一たび口を開けば条理整然よく人をして傾聴せしめた。<略>
世間の人々はややもすれば桐野さんを無学者の如く誤解してゐるが決してそうではなかつた。中々歴史にも通じ偉人の氏名などよく記憶され聴く度毎に感服した。<略>
また時には四書・五経中の名文字を引用し孔子や孟子の語にかくあると精神訓話をされた。<略>
桐野さんはとても多趣味で無学どころか私は却つて博学多才であつたと思ふ。


『少年読本』には桐野は記憶力が良かったとあるのですが、川上の回顧にも通じている。
会津若松城の受け渡しも、どこでそんな作法を知ったと驚く周囲に、愛宕下の講談(忠臣蔵赤穂城受け渡しの段)を見て覚えたと答えたエピソードがありますが、これ真実に近いのではないか。
それに大分勉強したんじゃないかなあ…

とまれ、川上の言葉は今まで紹介してきた人物評をそのままトレースしているように思います。
ということは、これ、桐野を知っている立場まちまちの人々の、共通の記憶と見ていいでしょう。
少なくとも明治期には周囲からこういう人物として見られていたんですよ。
私は本当に声を大にして言いたい。

桐野利秋は誤解が多い人物である。


**


私はこの川上の人物評には随分真実味があると思っていまして、理由は後に川上、桐野とも反目するからです。

信条の違い…というと大層ですが、まあそう言ってもいいのではないかと。
当時川上は徹底して反私学校の青年。明治8年で漸く20歳。
片や桐野は30代後半、私学校と距離を置いているとはいえ西郷に次ぐ実力者です。
川上と桐野では立場が違う。責任が違う。考えることも勿論違う。

当時の川上にはそれが理解できなかったのではないかと思います。
そして自分達の事を理解してくれていると思っていた桐野がそうでなかったと思って、恐らく随分落胆し失望した。
川上が桐野に二度叱られたと書いているのですが、それが以下。

川上は抑々上京するつもりで鹿児島県庁の許可を受けていたのですが、家庭の事情で延期していました。
それが友人同士らが続々上京するのに伴い自分もとなり、世話になっているので了解を得ようと桐野を訪れます。
そうしたら物凄く怒られた。「乱暴なことを申して散々叱られた」とある。

もう一件は萩の乱の際。
鹿児島の空気も不穏になって、加治木私学校分校の退校組が一朝事あらば桐野と行動を共にしようと連判状を桐野に出しています。
思う所があり川上はそこには名を連ねず、これも一応桐野の了解をと思ったけれど、この時も滅茶苦茶怒られている。
聞くに堪えない程の罵声を浴びせられたとあります。
気の毒に思ったのだろう、桐野の妻が機転を利かせて間に入って助けてくれた。
最も武士にとっての罵声と私たちが思う罵声のレベルは違う気がしますが。


ふむ。
まず第一に、私の心象としては桐野、一回り以上年下の後輩に対して聞くに堪えないような罵声を浴びせるような人物とは思えないのですよねえ。
あくまでも私個人の心象ですが。

しかしめちゃくちゃ怒られたというのは、本当ではないかな。
それは分かる気はします。
ただ桐野が怒ったという内容を、川上は曲げて取ったか、随分後年の回顧なので曲げて伝えているのでは?と思っている。
そこがね、ちょっと扱いに困る、という所。


続きます。ごめん…
長すぎて半分に分けました。纏まらない!
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Comments 4

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ジゴロウ  

ここまで読ませいただいて思いましたが、
三国志演義のように、西郷を理想的な人物像にするために、桐野のいいところを拝借しているんでは?
と、いう気がして来ました。
勿論、善悪の二極化をするつもりはありませんけど、桐野の人物評が、巷で言われる西郷に近いというか、そうなると、
西郷はもっと嫌なヤツだったのか?
とか考えてしまいますが。
なんか、作家や史家の偏りを感じてしまいますね。

2019/01/15 (Tue) 05:08 | EDIT | REPLY |   
ヒジハラ
ヒジハラ  
>ジゴロウさん

>桐野のいいところを拝借しているんでは?

その点は恐らく切り離していいのではないかと思います。西郷はやはり大西郷で、西南戦争であれだけ主義主張が違う人間が集まり共に戦えたのは、唯一点西郷隆盛がいたからです。

西郷は薩軍の総大将でしたが、西南戦争での敗戦の責任や”賊”となった揚句様々なものを奪われた怒り憤りは、特に薩摩の人は西郷その人にはぶつけられなかったと思うんですよね。
私としてはその代わりになったのが桐野かなと思っています。分からんでもないです。
桐野に対する評価の偏りはその辺りから来ているものも結構多いのではないかなーと。

2019/01/15 (Tue) 07:43 | EDIT | REPLY |   
なかむらきりの  
全然違う話なんですが。

ご存じでしたら、お許し下さい。
神奈川県立公文書館の山口コレクションですが、ここには桐野及び桐野宛書簡があります。他にも、辺見、大山綱良、西南役関係など。
十数年前まではマイクロフィルムでの閲覧でしたが、先程HPを覗いたらデジタルアーカイブで閲覧できるようになっていました。
私がコピーに行った時は、目録も現地で確認、何年か前はその目録がネットで見られるようになっていましたが。
マイクロフィルムの一部のものは黒っぽく不鮮明でした。それがデジタルアーカイブの画像は鮮明で、マイクロフィルムに比べてとても綺麗です。
こういう点では本当に良い時代になりました(笑)。
ざっと一覧を見たところ、広瀬氏の奥田貞吉宛も2点ありました。すでに土原様ご確認済みでしょうが、ご報告いたします。

2019/01/15 (Tue) 17:27 | EDIT | REPLY |   
ヒジハラ
ヒジハラ  
>なかむらきりのさん

辺見のは見たことあります!確か画像検索で引っかかりました。
コレクションでの収蔵物だったのですね。
広瀬のもあるのは知りませんでした。確認します!奥田貞吉、海軍兵学校の同期です。
辺見で引っかかった時にちゃんと見ておけば良かったです。
ご連絡頂きましてありがとうございます。

デジタル史料、本当にきれいですよね。
国会図書館でさえマイクロですと見るに堪えないものも多いですし、写真なんて何が写っているか全くわかりません(笑)
原典史料を見せてくれないんだからもう少しどうにかならないかなと行くたびに思います…

アジ歴にせよ何にせよ、仰る通り本当に良い時代になったなと思います。
家にいて防衛省の史料が読める日が来るなんて、想像もしていませんでした。

2019/01/15 (Tue) 19:51 | EDIT | REPLY |   

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