桐野利秋、とある人物評(12)桐野の指②

ヒジハラ

※このページの内容を関して※ 2019/1/9
前エントリ、当エントリへのコメントにて未見資料の内容や性格について教示頂き、桐野が失った指の箇所と本数については、更なる調査と再考の必要があると考えます。
こういう資料、こういう推測があるなという程度で止めおいてくださいませ。

**************************


20190108


西南戦争終結後の薩軍幹部の屍体検査書には、桐野の左手中指に旧断切跡、とある。
写真は圭室諦成『西南戦争』です。
余りに汚いので去年処分したと思っていたのだけれど、思い止まってたみたい。家にあった。笑。捨てた積りでいたわ…
『西南役側面史』からの引用というのは分かるのですが、すいません、私この本は追えていない。
遠い所まで行かないと無い…


桐野利秋
衣服 績縞上着縮緬襦袢。
創所 左大腿内面筋骨銃創、右脛骨刀創、左中指旧断切痕、下腹部より腰部貫通銃創、前頭より顳顬部貫通銃創、左前頭より傾(顳)頂部に刀創、左中指端傷、陰嚢肥腫。


この資料の問題は、『敬天愛人』掲載「詮議の検証「益満休之助の死傷」と「中村半次郎の刀傷」関寛斎これを診る」の著者が書いていますが、『西南役側面史』(恐らく)から先が追えない、同書籍の典拠が分からないという点だと思います。
ただここまで詳しく書かれていると、ちょっと疑うのが難しい感触はある。
そして左中指端傷というのが何を指すのか、ちょっと分からんのだが。同じこと書いてない?

これが難しいのは、実際に治療に当たっている関寛斎の日記もこの遺体の調査書も無碍には出来ないというという所。


『敬天愛人』掲載「桐野利秋と肝付兼武」を見ると、襲われて指を失ったとあるのみでしたが、なかむらきりの様からこの論文の基礎になっている肝付兼武の言にて「左とある」とご教示頂きました。
(※以前論文名を紹介した時に兼行としていましたが兼武です。すいません、訂正します)
そしてそういやまだ「肝付兼武伝」見てないなと気付くのであった…

そして『歴史読本 子孫が語る幕末維新人物100』では、桐野の妻が左手の指が無いということを孫に語ったとあります。
曰く、京都の三条小橋のたもとの銭湯に行った帰りに新選組大勢に囲まれて、その折に切り落とされた。
これがなかったよ、と桐野妻が「左の小指をさして私の顔を見ました」と孫が語っている。
こ、小指かあ…と思うと同時に、京都?新選組?となる訳です…
お、おう…
こうなってくると、家族の話なのだけれどちょっと正確性に問題が。
ただこの話でも左とあります。

検死書と親族(妻と姻戚)が左と言っているのを見ると、やっぱり左だと思います。
先程『薩摩の密偵桐野利秋』の該当部分を見たのですが、遺体調査書と関を並列して、唐突に「関寛斎が信用できるだろう」、即ち右の指の欠落だと。
うーん、これ…
なかむらきりの様の仰る通り、根拠なく関が信用できるというのは、ちょっと強引だと思うわー…

***

私は左の中指でははないかと思っているのですが、右ではないと思う根拠は史料の他に幾つかあります。

まず前提として、桐野の利き手は左右どちらか、という話です。
桐野は刀を振るう士分ですから右です。
言い切れるの?とお思いでしょうが、言い切ってもいいです。
左利きでも必ず矯正されます。何故ならば武士だから!

刀は左腰に差します。
その状態だと武士同士がすれ違った時に刀の鞘がぶつかる可能性があるのですね。
鞘がぶつかる、これを鞘当てと言います(恋の鞘当てなんて言われますがここからです)。
この時「ごめん」「こっちこそごめん」で済めばいいのだけれど、時には斬り合いの大乱闘に発展するのですよ…
正当な理由のない私闘はお家断絶に繋がる可能性もありますからね。
こうした無用の争いを避けるために、武士は道の左側を通行します。
また何かあった際にすぐに抜刀できるよう、右側通行を避けるという事でもありました。

そして座った際に右手側に、更に刃を体側に向けて刀を置くのは、相手に対して敵意が無いという意思表明になります。
斬りつけようと思うと、右で鞘を掴んで左で掴み直し、更に右で抜刀することになるので…
薩摩が桐野がとか言う以前の、武士社会のルールです。

*

『帝国農会報』所収「農人としての桐野利秋」には以下のような話があります。
帰鹿後、吉田で開墾にいそしんでいた時の話。


桐野氏も自ら鍬を取り或は二人持の簣に土石を運ばれけるが、彼は常に
「僕が叫ぶ時は投げる時だから気をつけよ」と注意せりと、
そは彼が片手の指一本を失ひ土石運搬に当り重荷に耐へず之を取落とすこと屢々なりしを以て之を相手方に注意せるなり


簣(あじか)はざる、もっこの事です。
手の左右は書かれていないけれど、これ見てまず小指ではないなと思う。
残っている資料から候補の指を消去法的な形でありますが、中指だろうと。
(ちなみに任侠で小指を詰めるのは他指だと支障が出るからです。一番影響ないところを落とすのよ)

で、このまま桐野の中指欠落で話を進めますが…
コメント欄では、桐野の欠落指が右手であれば力を込めて刀を握って振るえたか疑問、と書いたのですが、良く考えたら抜刀も難しかったのではないかと思う。力が入らない…

そして、右であれば生活にかなり大きな支障があったはずです。 
一番は箸です。
筆も大変だと思いますが、箸は持てません。 
そうすると中指欠損以降に食事の場を共にした友人知人が「後日譚」といった形で、そういった記事を残しても良さそうだなと思います。

日露戦争時、軍艦日進の前部8インチ主砲が爆発し、乗組んでいた山本五十六少尉候補生が重傷を負っています。
日本海海戦、日進の惨劇」で触れましたが、これが原因で山本は左手の指2本、人差し指と中指を切断している。
その後、大変だったんですよ。
桐野は1本、山本は加えて人差し指で、ハンディキャップは更に大きいですが、吸物椀の蓋を取るだけでも四苦八苦していました。 
見兼ねた花街の姐さんが「蓋取りましょうか?」と声を掛ける程。
左手でもこうだとしたら、右手だったらどうなのでしょう。

怪我の話が殆ど残っていないという所に、”生活に差し支える”場面を桐野が周囲にそれほど見せなかったのではないかと思うのです。

で、先日紹介した安楽兼道、明治3年以降に桐野と知り合った安楽の「余の見たる桐野利秋」には、

腕力は五人十人と一時に殴り倒ほす位の力量はあつて筋骨の鍛へ方が十分に鍛へられて居たが、是は毎朝鉄棒を打振つて居られたためである

とあります。鉄棒振ってたの?
更に桐野と共に吉田開墾に従事していた川上親晴の伝記には、川上の言として

自ら鋤鍬を把り水田陸田を耕やして朝晩土に親しんでゐたから、その手足の如き農民よりずつと荒れてゐた。
そして偶々暇あらば縁側に据つて自ら箸を削づる。中々手先の器用な人であつた。

こうある。
両方とも指が無いなんて微塵も感じさせない。

こういうのを見ていますとね、うん。やっぱり右手とは思えないわ。
左手だと思う。
関連記事

日本ブログ村 人気ブログ

Comments 8

There are no comments yet.
なかむらきりの  
No title

コメントの書き込みにもたもたしていたら、桐野の指②があがっていました。(汗だらけ)
>西南役側面史
死体検案書の典拠が不明なわけですが、当時の新聞が典拠らしいのです。で、その新聞は何かと調査された方がいました。図書館のレファレンスなど使って調べたがわからなかったというのを「敬天愛人」だったかに書かれていました。
熊本県立図書館にあるだけで、鹿児島県立図書館は熊本のコピー本になるわけで。
どちらの図書館だったか(本当になんでもかんでも忘却の彼方)に、著作権の許される本の半分までを全部コピー依頼しました。死体検案書以外に桐野の書簡の写しが記載されていました。残り半分の内容も確認しないでいるままです。

2019/01/08 (Tue) 23:29 | EDIT | REPLY |   
ジゴロウ  

剣道をしていた知人に聞いたんですが、
左手の中指は、それほど重要ではないそうです。
抜刀の際に鞘をもつ、鯉口を切る、
刀を構えたときは、小指でしめる(力をいれる)ため、あとは親指と人差し指さえあればなんとかなると…
日常に不便はあっても、剣術では、
素人でなければ影響はないだろうと。
それが事実なら、桐野の欠損があまり知られてないのは、剣術に影響が少ないから、
なんですかね?
というか、時代が近いせいか、
和宮の左手、乃木の左目、奥の難聴など、
幕末から明治の方々は、そう言った話が結構残ってますね。

2019/01/08 (Tue) 23:34 | EDIT | REPLY |   
ヒジハラ
ヒジハラ  
>なかむらきりのさん

ありがとうございます!こちらこそ汗だらけです!(笑)(笑)
コメントの返事を打っている間に更にコメント頂きまして(笑)遅筆ですいません。
しかし分からないなりにも書いてみるものだと本当に思いました。
ご教示頂くばかりで却って恐縮ですが、疑問に思っていた事と分からない事ばかりなので本当にありがたいです。

なるほど、新聞の可能性ですか。
それは確かに記載されていた元が分かっても典拠不明と言われても仕方ない所がありますね。
問題はその新聞が何を典拠にしていたかですが、新聞不明でしたら勿論それも不明…
書かれている調査の感じから元は軍医の調査かと思っていたのですが、それこそ松本良順や石黒忠悳あたりから何かでないかな…
あとはベタですが近代デジタルライブラリーですかねえ。

西南役側面史、神戸まで行かないと見られないのですが地元で借りられないか申請してみようかと思い始めています…

2019/01/09 (Wed) 00:15 | EDIT | REPLY |   
ヒジハラ
ヒジハラ  
>ジゴロウさん

コメントありがとうございます!
お書き頂いていた辺りの話コメント欄では書いていたのですが、エントリーに上げる際に弾いてしまったのです。
書いておいた方が良かったかー(笑)

剣道は基本的に左手の小指で竹刀を振るというか、仰る通り竹刀を締めます。
ただ基本的に両手で持つとされる日本刀の時はどうなのか、竹刀と同じと考えていいのかちょっと分からなくて。
剣術に影響が少なかったため、知られていなかったというのは、もしかしたらあるかもしれません。

ただ先程なかむらきりの様にコメントでご教示頂いたのですが、まさかの2指欠損(!)の可能性も出てきました。笑
分からないまま推測を書いていた感じですが、皆様に色々情報を教えて頂いて本当にありがたいです…

確かに、時代が近いだけに身体の不自由さのお話も結構残っていますね。
ただそれはあまり言われませんが(そらそうでしょうが)、桐野もその中のひとりかもしれません。

2019/01/09 (Wed) 00:31 | EDIT | REPLY |   
なかむらきりの  
余計なお世話ですが。

「西南役側面史」後編第八章西南役と新聞(p.192~)の第六節西南役の新聞記事(p.198~)のp.203に「一三、[屍体検査書]」があります。圭室氏の「西南戦争」の写真を見ると辺見までのようですが、その後に晋介と村田のも記載されています。(~p.204)
別府新助 衣服 (以下ナシ) 創所 頚部、大刀創、膝蓋外方旧銃創、左◻(月へんに寛)骨部銃創
村田新八 創所 胸部射入銃創留丸
昭和14年刊ですから、勿論旧字での記載です。
p.203には、桐野の偽写真のモデルにされた本人がショックを受けた記事が載っています。

桐野の書簡の写しはp.154~155です。「河野麗水日記ノ内(写)」として、大山格之助宛山鹿滞陣桐野利秋が載っています。

故湯場崎末次郎氏が南洲墓地の案内人をしていた頃、桐野の死体検案書を持っているという医者がお参りに来たらしいです。「明治維新に殺された男」の著者も医者ということで、検査書を入手でもしたのかとやや期待もしたのでしたが、ハズレでした。(笑)

2019/01/09 (Wed) 01:11 | EDIT | REPLY |   
ヒジハラ
ヒジハラ  
>なかむらきりのさん

重ね重ねご丁寧にありがとうございます。
検査書、補完頂いた別府村田の名前が無いので途中省かれているのかなと思っていたのですが以下略されていたのですね。

>桐野の偽写真のモデルにされた

そ、そんな話が…(笑)
いかにもありそうな話だなと思わず笑ってしまいました。
桐野の書簡、ぽつぽつでも書籍に所収されていますね。
纏めて見たことは無いのですが、数えてみたらそこそこの数になるのではないでしょうか。

>桐野の死体検案書を持っているという医者が

そうなんですか。
ということは「あることはある」という感じなのですかと思いますが、何とも言えないですね。
上記、近代デジタルコレクションで、と書きましたが、アジア歴史資料センターの誤りです。
しかも最初デジタルライブラリー(デジコレの前身です)と書いていました…眠たくなるとどうも(笑)
すいません、訂正します。

そのアジ歴、今少し見ていたのですが、検索で引っ掛ける程度ではちょっと分からないですね。
ただ戦争終結後にその遺体をその後どうしたかは、常識的に考えると公式の書類として残していると思うのです。
上で、軍医云々と書いたのは、そのこともありました。
簿冊を捲る必要がありそうですが、根気よく見たら探せるのでは、という気もします。

取り急ぎ桐野利秋で検索しましたが、ちょっと見当たらないですね~
ただ帰国願や官位褫奪関係の文書も出ていましたし、帰鹿後にもちゃんと非職の陸軍少将として職員録に名前が載っているのを見ると、ちゃんとお給金払われていたという「それ本当なの?」ということを目の当たりにしておお!と思います。笑

戦争開始後に吉田に政府軍が調査に入っていますが、書状一通を押収した位で特に異常なしという調査書も出ていました。

2019/01/09 (Wed) 08:04 | EDIT | REPLY |   
ジゴロウ  

何度もすいません。
竹刀と真剣の持ち方は同じだそうです。

変わるとすれば、重量故に、
重心が下がるそうですが、
得物の重さ下がるのは未熟で、
意図的に下げる事はあるそうです。


2019/01/09 (Wed) 22:20 | EDIT | REPLY |   
ヒジハラ
ヒジハラ  
>ジゴロウさん

いえ、態々ご確認いただきましたようでこちらこそ申し訳ありません。そしてありがとうございます!
なるほど~同様に扱うと考えていいのですね。
前のコメントでも触れておられましたが、熟練と未熟で変わってくるということでしたら、確かに桐野だったら…という気もします。
本当に実際の欠指部分がどこであったのか、非常に気になります…

2019/01/09 (Wed) 22:40 | EDIT | REPLY |   

Leave a reply