桐野利秋、とある人物評(3)

ヒジハラ


間が空きましたが、桐野の続きです。
こちら、『丁丑騒乱記』からです。
著者は先日も紹介しました、島津久光の側近、市来四郎。
西郷に批判的な私学校の反対党になります。
久光の側近ですからね、当然明治政府にも批判的です。そういう意味では市来の立ち位置は中立。


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桐野は廉潔豪胆百折不撓の人と謂うべし
最も仁慈心あり、文識甚だ乏し、自ら文盲を唱ふ


百折不撓の人、というのは本当にそうだと思う。
困難にあっても屈しない。
仁慈心があるが、文識は乏しく文盲と自称した。

優しさと慈しみの心というのは、城山の最終決戦で若い人たちを逃がそうとしたことでも分かります。従僕も道連れにはせず逃がそうとしていました。
『翔ぶが如く』には、桐野には人として自然な優しさがある、という旨がありましたが、そうでしょうね。

また、佐賀の乱で敗れた江藤新平一行が西郷隆盛を頼った際、西郷はそれを一蹴します。
その江藤らを匿おうとしたのが桐野でした。
江藤はその申し出を謝絶したのだけれど、二人の佐賀人(石井貞興と徳久恒敏)が残ることになっています。
捕吏が二人を捕まえに来ても追い返していますし。
こうした恩義から、西南戦争の際はふたりとも従軍しています。
徳久は戦死し、石井は政府軍に捕まり処刑されています。
ふたりとも墓所は佐賀と教えて頂き、昨年の訪佐で徳久の方はお参りしてきました。
(石井は調査不足で違う寺に行ってしまった…orz)


文識、文盲云々に関しては、これは現代の私たちが思う文盲とは違います。
この辺りはね~…
桐野云々ではなく、歴史を考える時に非常に難しい問題だと思います。

昔の常識と今の常識は違う。価値観も然り。

これを忘れてはいけません。
平安時代、食事を供する時にはご飯に箸を突き立てるのが正式なマナーでした。

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(病草子)

枕箸(仏箸)で今では考えられませんが、常識も価値観も時代が経てば変わるのである…
今の常識で判断するのは良くない。
けれど、今と昔では隔絶とも言えるジェネレーションギャップが横たわっているのも確か。
それを埋める努力が歴史を見る時には必要でござる。


それはさておき。
桐野は城下士です(※郷士と誤解されがちですが、違います)
下級とは言え、れっきとした薩摩藩士。
評価する方も評価される方も、元は武士であるということを忘れてはいけない。
この文脈での文盲は、
”武士”としての文識がない、
武士が受ける基本的な学問(漢文の素養・四書五経)を修めていない、

ということです。
桐野が何故修学の機会を逸したかというと、貧窮故としか言いようがないでしょう。

引き合いにばかり出してどうもなと思いますが、司馬遼太郎はこの文盲をどう考えていたのか、『翔ぶが如く』を見ると目に一丁字もないと捉えていた節があり、それに近い描写がありました。
読者から桐野の掛け軸があると言われて閉口する、あれは全部代筆云々。
いや、読み書きは母方の祖父別府氏(従弟別府晋介の祖父)から習ってるしさ。
掛け軸も書簡も日記もあるし、和歌だって読んでいる。
全否定てどうなのでしょうね。

この”文識”ですが、求められるレベルは結構な高さだったのではと思います。
大塩平八郎の乱に関係する本で読んだのだけれども、当時の大坂定番同心・坂本鉉之助(砲術の専門家で吉田松陰と面会もしている)曰く、

当時の与力や同心は腐敗と怠慢が酷く、酷いものになると文盲といってもいい程

与力や同心は実質的には世襲です。
その為、その家に生まれた時点で将来が約束されているに近いのですが、それでも子供の頃から武士としての教育としつけは受けています(元服後の勉強は本人次第で、保証された職に就きながらの怠慢は咎められるべきだと思いますが)。
上記の場合、職場が腐っていたという事情はありますが、一般的な武士として生きていて文盲と言われるレベル。

当時の大坂の町奉行所に関しては、少ない人数で全員兼職しながら仕事を回していました。
お奉行肝煎りで江戸から先生を呼んで勉強会も開かれたりしていたし。
町奉行所の与力同心に関しては、そこそこ能吏でなければ勤まらなかった筈です。

与力同心は町奉行所にだけいるではないので、まさかこの人達を指して言うのではなかろうな、と思いはするのだけれど、そうだとしたら恐ろしいわ。


然りと雖も実務上頗る深謀遠慮、有識者に勝れり、
世人之を武断の人と謂うと雖も其の深きを知らざるなり

六年の冬掛冠帰省の後は、居常国事の救うべからざるを憂嘆し、
皇威不墜の策を講じ、国民をして文明の域に立たしめんことを主張し、
速に立憲の政体に改革し、民権を拡張せんことを希望する最も切なり


聞いて、これ、西郷隆盛大っ嫌いな(笑)、旧薩摩藩士の開明派インテリの言葉よ。
普通に考えて最上級の褒め言葉ではないか。

桐野は文盲を自称していたが、実務上は非常に深謀遠慮であり、有識者を凌ぐ。
世間は桐野を武断の人だというけれど、それは桐野の深さを知らないからである。
それ以降の話は民権論ですね。
まあ桐野のいう民権が、どこまでのものかという問題はあるし、桐野は民権論者か?という話もなるのですが。

私ね、桐野は世間一般的には、西郷につき従うかつての人斬り、無学の馬鹿、というイメージが非常に強いんじゃないかと思う。
ただあれこれを見ていると、正当な学問は修めていなくても、頭のいい人だったのだと思う。

西郷隆盛の桐野評が端的にそれを表しています。
「彼をして学問の造詣あらしめば到底吾人の及ぶ所に非ず」

ついでに勝海舟の評(西郷大好き)
「桐野とか、村田とかいふのは、なかなか俊才であつた」

さらに大隈重信の評(西郷大嫌い)
「西南の役に大西郷に次いでの薩摩の驍将桐野利秋。彼は頗る才幹の男であつたが、是が矢張り派手であつた。身体も大きくて立派なら、容貌態度共に優れた男であつたが、着物を無様に着る様な真似はせず、それも汚れ目の見えぬ綺麗な物づくめであつた」


桐野利秋と別府晋介 


司馬遼太郎と池波正太郎が描く桐野利秋が、「これが桐野利秋」と世間一般に思われ過ぎていて、こういう事が全く言われない。
特に司馬遼なら、この上の辺りの話は読んでいたと思うのですよ。
それをどう取るかやね。
あの桐野像は、半ばわざとかなと思ってる。

桐野に関しては「4大人斬り」とか「人斬り半次郎」とか、西南戦争は桐野が起こしたとか桐野の戦争だとか、そういう事ばかりが言われます。
この10年15年程で、従来の小説のイメージとは随分違う姿を描き出す資料・史料からアプローチする書籍が出ているのですが、そういうことは本当に見向きもされませんね…
それをNHKが事あるごとに人斬り人斬り言いやがって意見聞き容れなくて泣くとか「俺たち一生懸命考えもした」?三十半ば超えてる男に馬鹿なのかとしか言いようのない台詞を吐かせやがって益々頭弱い印象げふんげふん


第一、西郷に忠誠を誓ったとか、西郷の右腕とか側近だとか、そういう話は一体どこから来たのだろう(結構昔からの疑問)
別にそれはそれでいいのだけれど、私が個人的に西郷とは実際には結構距離があったのではと思っているだけなので。
幕末の距離感見てても、帰鹿後の距離感見てもそう思う。
それに西郷が好きなタイプと違うよね、桐野。村田とか篠原でしょう?

そういや某ドラマのうたい文句?は西郷は「誰からも好かれた男(モテた男?)」だったと思いますが、滅茶苦茶好き嫌い別れる人物だったと思うで。
加えて、西郷本人も結構人の選り好みは激しい感じですし。
井上馨とか大嫌いよね。三井の番頭だもんね。

それはとにかく、もう少し従来の桐野像が変わればと思うのです…
ほんっと色々と台無しにしてくれたけどな、あのドラマが。
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Comments 7

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ジゴロウ  

本当だよな(失礼しました)

桐野なんですが、巷でイメージされているのが、岡田以蔵と被るようなキャラクター造形が多い気がしませんか?
いわゆる人気者の側というのが共通してるから、似たようなのにしたみたいな、
ハッキリいえば、二番煎じ、勉強不足、みたいな。
ともあれ、そんな事をしてる以上、
時代劇や歴史ドラマは、もうダメですね。
「峠」が心配で仕方ないです。

あ、過ぎましたが、お誕生日おめでとうございました。

2018/12/27 (Thu) 04:03 | EDIT | REPLY |   
なかむらきりの  
「鹿児島県史料 西南戦争」お持ちで羨ましいです。

土原様にはいつも感謝です。
私の思っていることをおっしゃてくださいます。
司馬氏は活字になった史料しか読まないと、嘘か真か定かではありませんが、知人から聞いたことがあります。
それが事実なら、「翔ぶが如く」の毎日新聞連載時、「丁丑擾乱記」は活字になっていませんから、勝海舟、大隈の桐野評は目にしても、「丁丑擾乱記」は読んでいなかったでしょう。
「翔ぶが如く」は私の大学時代に新聞連載されましたが、家は毎日新聞を購読していなかったので、縮刷版が出る度に図書館へ読みに行きました。
連載が終わる前頃に、黎明館の前身の鹿児島県維新史料編さん所で、「丁丑擾乱記」や野村忍介の「西南之役懲役人質問」を私は必死で筆写していました。
閲覧はできても、コピーは不可でしたし(涙)、当時の維新史料編さん所はリコピーの時代、しかもコピー料金は高かったのです。(確か1枚30円、でも貨幣価値が全然違いますし、学生にはお金がありません。)
「目に一丁字もない」と司馬氏との対談で言い切ったのは丸谷才一氏、絶対忘れません。(怨みは深い。)
司馬氏は「やっと自分の名前が書ける程」と初期の頃は書いています。後々、文盲とは書かなくなりましたが。
以前よりは桐野について正しい情報が広まるようになりましたが、「四大人斬り」などと言う馬鹿な造語ができ、嘆かわしい限りです。
50年前は盛んに「三大人斬り」という言葉が使われていました。

2018/12/27 (Thu) 05:29 | EDIT | REPLY |   
ヒジハラ
ヒジハラ  
>ジゴロウさん

なるほど岡田以蔵ですか~
岡田から暗さや卑屈さを抜いて飛び切り明るくしたら”人斬り半次郎”になるのかも。

勉強不足というのは本当にそうだと思います。
分かっていてもそこまで描くのはややこしいし、どうせ主役ではないし、というのもありそうかなと。
…う~ん、いや、やっぱり勉強不足ですかねえ。
それに併せて良い話にしよう、泣かせようとか、感動させようとかいった点に重点を置く限り、歴史劇も時代劇も、もう見る価値無いなと思っています。

桐野に限らず、一般的な幕末史・明治史って、司馬遼太郎で止まっているなと感じてます。ン十年前から進んでない!研究はどんどん進んでいるのに。
そして最近の流行りなのか、ちょっとこれからの幕末史のちょっとしたトレンドになりそうなというか、なっているというか、I田M史さん、西郷の本も出てましたが(読む気にもならず未読です)この方大丈夫なんですかね。

『峠』もどうなる事かなとは思います。
映画化を喜んでいいのかどうなのか…

ありがとうございます~!
しかし今年の誕生日は腰痛で終わりました…。笑

2018/12/27 (Thu) 22:45 | EDIT | REPLY |   
ヒジハラ
ヒジハラ  
>なかむらきりのさん

ドラマのもやもやが酷過ぎまして、非常に何か一言(一言か?)言いたい気持ちに駆られました。
ドラマの影響で桐野関連で検索すると「えっ…」と思うようなスニペット(本文すら読んでません)ばかりで本当に泣きたくなります。
あーあれを信じている人がいるのかと。
ある程度知っていると「嘘八百言うな」と思いますが、あれでいい、あれが本当と思う人が多いのも確かです。泣きたい。
余計何か言いたくなる。

『翔ぶが如く』執筆の際は「丁丑擾乱記」はまだかなとは思っていたのですが、やはりそうでしたか。
ただ司馬さんが読んでいたとしても、桐野に対する見方は変わらなかったのではないかと思います。
恐らくこうと強く思った意見については、外野から何を言われても変わらない方だったのではないかと。

「やっと自分の名前が書ける程」、そうでした、そんな風にも書かれていました!
そして丸谷才一だったのですね。私も忘れないと思う…

司馬作品で桐野と同じ目に、いや、もっとひどい目に遭っているのが乃木希典です。
乃木については今春亡くなった古川薫が強い抗議をしていますが、全く無視だったそうで(『斜陽に立つ』執筆の切欠です)。
『坂の上の雲』『殉死』とも乃木については罵倒ですが、司馬本人が「憎悪で書いた気がする」と萩原延壽との対談で口にしていて、これを目にした時は流石に唖然としましたし、正直引きました。
描く原動力が憎悪ならああなるわな、と思いました。
乃木に優れた所があっても、誰に抗議されても屁でもなかったでしょう。

桐野については有馬藤太の回顧のせいもあるでしょうが、有馬の言葉は「大抵は代筆した」、しかしそれが全部ではないわけで。
一坂太郎さんも言っておられましたが、資料として取れない(取ったら怒られる伊藤痴遊講談レベル)ものをそれらしく、真実らしく書かれるので、非常に困る。
修正が出来ないんですよね、皆信じすぎて…
親友であった有馬の話が嘘だとはさすがに思いませんが、それは全てではないですよね。
それを全否定って。

私が幕末にどっぷり嵌っていた20~5年ほど前でも、「4大人斬り」という言葉はなかったと記憶しています。
「3大人斬り」即ち田中新兵衛、岡田以蔵、河上彦斎でした。
桐野=人斬りは、まず池波『人斬り半次郎』の影響でしょうが、これもそうなのでしょうか。

『鹿児島県史料』は流石に図書館で借りてきました。笑
史跡関係でちょっと確かめたいことがあり、手元のコピーでは間に合わず…
西南戦争編、欲しいです。
しかしあの分量を筆写とは!驚きました。
そしてさぞ御苦労されたこととお察しします…
本当に好きでないとできません。頭が下がります。

(長々とすいません…)

2018/12/27 (Thu) 22:56 | EDIT | REPLY |   
なかむらきりの  
大いにおっしゃてください。

年末のこのお忙しい時期に、ご丁寧なお返事、有難うございます。

>丁丑擾乱記
また紛らわしい文章を書いて、すみません。良い年齢をして、未だに日本語が下手です。(恥ずかしいですが、いつも家族から叱られます。)
筆写したのは、桐野に関係する部分だけです。とても全文は無理です。
仮に筆写の根性はあっても、時間的に無理でした。
東条鶴山の田蘆碑文も筆写しました。当時はデジカメがありませんし、私の持っていたカメラでは撮影しても文字が読めません。書名は忘れましたが、ある本に碑文が記載されていたのですが、比べたら、間違っている箇所がありました。

>伊藤痴遊
桐野日記を返却してからあの世に行って欲しかったです。

>乃木希典
知人が萩の乱を調べているうちに、司馬氏の書いている乃木さんが全然実際の乃木さんと違うのに驚いたそうです。
私も「坂の上の雲」を読んだら、乃木さんが無能に思えました。(苦笑)
あの「明治維新に殺された男」の著者西村正氏が、「司馬さんに嫌われた乃木、伊地知両将軍の無念を晴らす」を出していますが、こちらではなく、土原様があげられた古川氏の本を読んでみます。勿論、日テレ「田原坂」の視聴が先ですが。
萩原氏との対談での司馬氏の言葉、恐ろしいです。

私こそ長くなり、すみませんでした。お返事は無きように。

2018/12/28 (Fri) 05:20 | EDIT | REPLY |   
ヒジハラ
ヒジハラ  
>なかむらきりのさん

こちらこそコメントありがとうございます。
またお気遣いありがとうございます。お気持ちが嬉しいです。

いや、桐野の部分だけでも大変ですよ。
結構ありますよ?文章長いですし…
デジカメ、ケータイで史跡巡りも本当に楽になりました。
その場で書き写すのは時間的な制約から本当に至難でしたから。デジタルはあれこれとありがたい事が多いです。

伊藤痴遊が伊東の子息に読ませてもらったというのは読みましたが、返していなかったのですね。知りませんでした。本当に返してからにして欲しかった…

乃木は私も司馬さんから入りましたので、中々先入観が抜けずに苦労、未だに苦しんでます…
古川さんも山口出身で地元の偉人の話ですので、割り引く所はあるかなとは思いますが、随分まともでしょう。

乃木や第3軍関係では、長南政義さんをお勧めします。
研究者の方ですが、新史料をふんだんに使って検証されておられます。
特に『坂の上の雲5つの疑問』(並木書房、2011年)は一般向けで読み易いので、私の一押しはこれです。笑

2018/12/28 (Fri) 21:51 | EDIT | REPLY |   
なかむらきりの  
一言御礼。

有難うございます。
一押し「坂の上の雲5つの疑問」も読みます。
明日29日から1月10日まで館内整理で図書館が休館、同様にHPもシステム更新で蔵書検索ができません。(まだ28日なのにできません。)来年まで我慢です。
休館に備え、本はかなり借りてあります。(笑)

2018/12/28 (Fri) 23:27 | EDIT | REPLY |   

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