サイト更新:西南戦争4 (薩軍の撤退、熊本城開城

ヒジハラ

よく分からない立て込み方をしていて更新が遅れました。
旅行とか行くからよ…

今回は熊本城を落とせない薩軍の話の続きです。
城は取れないまま、そして北上した薩軍も政府軍に敗北を喫したという話は以前もしました。

この時期から薩軍は劣勢であったと見がちですが、それは私達がその後の戦争の推移を知っているからであって、明治10年3月時点では必ずしもそうではない。
この頃までは薩軍優勢なんですよねえ。

大体やね、政府は「薩軍に西郷隆盛は加担していないだろうし、1ヶ月ぐらいで終わるな」と思っていた訳ですよ。
それが豈図らんや!
西郷は総大将だわ、激戦続きでスナイドル弾丸の不足が心配だわ、徴兵を謳っているのに士族の抜刀隊に頼る羽目になるわ、え熊本城でネズミ食べてる?カエルも?食べ物ないの?誰だよ1ヶ月で終わるとか言ったの表に出ろ!

当然ながらこの状態が非常に憂慮されまして、衝背軍として別働旅団が編成されました。以下。

参軍:黒田清隆中将
別働第1旅団:高島鞆之助少将
別働第2旅団:山田顕義少将
別働第3旅団:川路利良少将大警視

川路の名前が見えています。
彼が西南戦争に参加するのはこの時からで、桐野利秋同様田原坂なんかにいるわけないのですね。

この衝背軍が日奈久から上陸して熊本城に向けて北上、薩軍を南北から挟撃する形になったことで戦局が大きく転換します。
今回はそういう辺りの話から、熊本城に引き続き籠城している鎮台の話、そして熊本城開城(開通)の話になります。

当時籠城していた熊鎮、メンバーが日露戦争の綺羅星揃いです。
児玉源太郎、奥保鞏やすかた、大迫尚敏、小川又次。
よくこれだけの人材が揃っていたことよと思います。

今回の更新で薩軍の本営移動までカバーしています。人吉に行く前まで。
これにて熊本城攻城戦の推移の話は終わりですが、次回熊本城周辺の関連石碑を紹介して終了になります。
年内に終わりそうね!
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