サイト更新:西南戦争3(薩軍長囲策、段山の戦い②)

ヒジハラ

サイト更新です。

熊本城×西南戦争の第3弾、「薩軍長囲策、段山の戦い②」になります。

前回は薩軍は熊本城を数日強襲したものの一塁も抜けなかったという所まででした。

段山しか取れないとかいうまさかの結果!

そこで薩軍は熊本城の強襲策から長囲策へと作戦を転換します。

主力は熊本城の北方へ向かい、長囲軍はそのまま熊本城の包囲を続行することになる。


この作戦転換の軍議の際、力攻めの継続を主張したのは篠原国幹、別府晋介。

熊本城を包囲したまま、長崎・小倉に向けて北上と主張したのが、西郷の末弟西郷小兵衛と昨日名前を出した野村忍介になります。


篠原が主張した城攻めの続行は愚策と言われることが多いですが、これ本当にそうなのでしょうか…

私さー、体制を整えて総攻撃を掛ければ、城を取れる可能性は案外あったんじゃないの?と思うのですよね。

人間を随分殺さないといけなかっただろうけれど。


城を取った所で後には続かないのじゃないかなあと思うのは、以前書いた通りです。

薩軍が城に入れてそこを拠点に割拠と言っても、今度は薩軍が実質籠城状態になるのでは。

籠城は強力な援軍があってこそ成り立つもの。

兵站の整備もなく(糧食に関しては薩軍は現地調達という昭和の日本軍形式でござった)、しかも本拠である鹿児島ががら空きという状況では、先が見えてるのではないかなと思うのです。

政府に不平がある士族を糾合と言っても、どの程度纏められるの、あの薩軍に…

しかしながら薩軍が城を取っていたら、終着地は同じでも、その後の戦争の推移は随分と変わったものにはなったでしょうね。



前回も段山の戦いに触れていますが、今回も触れています。

2回目の激戦の方。熊本城攻防戦の中で一番死傷者が出た戦いになります。


籠城も最初はいいのですが、時間が経つと食糧不足が目睫の問題として浮上してきます。

攻防戦開始時に薩軍が政府軍の側の電信を切ってしまっていますので、籠城している鎮台側には状況が全く見えない!

助けがどこまで来ているのか、いや、来ているのかも来るのかすら分からない!(笑

一体何時まで頑張ればいいの~…

そこで城から斥候を出したり、偵察部隊を出したりするのですが、そこで戦闘が起きています。


しかしながら段山の方は偵察部隊の戦闘ではなく(笑)

前線部隊の簡単な小競り合いから大戦闘に発展したもので、結果として鎮台側の勝利に終わっている。


今回はこの段山の戦いに関する石碑を幾つか紹介してます。

3ページ目にしてやっと石碑!本来はこういうページのはず!(笑


*


そんなこんなではありますが、覗いてみて下さいませ。

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