サイト更新:西南戦争2(熊本城攻防戦、段山の戦い)

ヒジハラ

サイト更新:熊本城×西南戦争2(熊本城攻防戦、段山の戦い)


思いの外未アップのページリンクがクリックされているので、少し早めに更新します。
リンクを繋げているページ数が多いので、ひとつ変えると10ページ程を変更する必要があるのです。
その都度触るのが面倒で見た目アクティブなまま横着しています。すいません。


ただ大河は熊本城?何それ?みたいな感じになりそうやなー。笑

流石に触れられるだろうけれど…

篠原も和装のまま戦死しそうな次回予告やったし。

せめて緋いマントに銀のサーベルぐらいは再現して欲しい。



前回は熊本鎮台が熊本城に籠城するまでの話でしたが、今回からは熊本城攻防戦になります。

初めは「籠城戦」としていたのですが、それは熊鎮だけで薩軍は違うなと。
薩軍サイドから見ている方が多いので攻防戦としました。
籠城サイドは「ご飯ないどうしよう」という感じであまり動きが無いのだ。笑


攻防戦とは言うものの、薩軍が一部を欠く全軍で攻撃を仕掛けたのは最初の数日になります。
しかしながら熊本城は薩軍が思っていた以上に堅固で、また鎮台兵も城に拠ってよく戦った為に、城を落すどころか一塁も抜けずに終わってしまった。


そこで薩軍は総軍掛りで城を落すことを止め、一部を城に残して主力が北上します(高瀬方面で政府軍と激突して敗退、やや後退して防衛ラインを山鹿-田原坂-吉次峠に展開)。
今回の更新はその直前まで。



この攻防戦を通して薩軍が執拗に取り付いたのが城東の段山(だにやま)になります。
一番攻撃し易く、その上ここが熊本城の弱点部分でもあった為激戦が繰り広げられている。

この辺りはサイトの更新ページをご覧下さいませ。


今回は地図と俯瞰図を多めに出しています。

ググル先生、本当に有用で助かる…


別府晋介と辺見十郎太が別々のタイミングでおっつけ救援に来るのですね。

ふたりとも薩軍が砲台を置いていた花岡山(JR熊本駅すぐ傍)から状況を見て、すぐに段山に向かう。

文献資料を見ているとそんなに簡単に状況判断できるものかと思うのだけれど、花岡山から城方面に向けての俯瞰図を見ると、確かにこれは城攻めの様子が丸分かりだっただろうと思います。


また段山をめぐる戦いでは、与倉知実連隊長(歩兵第13連隊)も

戦死している。

亡くなった日に、ともに籠城していた与倉の妻鶴子が女児を出産しています。

ショックだろうからと、谷干城熊本鎮台司令長官以下が隠した上で、谷が生まれた女の子の命名をするのだけれど、その雰囲気でああ、戦死したのだなと察した。


私この与倉さんの碑の近くまで行った筈なのだけれど写真撮らなかったわ…

段山の慰霊碑(次回更新分)の方を優先した。


史跡ページを作ると本当に行かなかった史跡がぽろぽろ出てきて、「あああー…」となることが多いです…


そんなこんなですが、お時間がありましたら遊びに来て下さいませ。

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