西南戦争の”通説”

ヒジハラ

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大丈夫生きてます。

荒れた机の中で生活してます。

史跡案内の紹介ページ作成でげっそりしてます。好きでやってんのにな。

もうじき熊本城関連の続きを更新する予定ですが、次回からはテーマが「熊本城×西南戦争」。

あれいるかな?これいるかな?という感じで、史跡案内とはというようなページになってしまった。笑

「熊本城攻防戦 実況中継(ダイジェスト)」ですね。

一応完成は見てます。が、併せて田原坂のページを改定しなければ…


田原坂の戦いですが、ここ数年で発掘調査が進んでいまして、今までの「通説」が「誤りと思しき通説」になっているものがちらほら。

田原坂の戦いに限らず、”西南戦争に関して”ともう少し大きな括りでもよさそうですが。

籠城直前の熊本城の消失も、発掘調査で自焼説が有力になってきつつある。

昔は失火説の方であったと記憶しています。


サイトで書き換えを要する箇所が幾つかあります。

ここ1ヶ月ほど、田原坂関係のページを多くの方にご覧頂いているようなのでちょっと焦っている;

すいません、出来る限り早く改定します。拙速は間違いの元なのでもう少し時間くれ。


大きな点としては田原坂の行違い弾で、どーもこれ、接着剤でくっつけられている可能性が高いらしい(by熊本博物館学芸員)。

マジか。笑うわ。

田原坂西南戦争資料館でも、もはや展示されておりませんでした。

田原坂観光のひとつの目玉は行違い弾でしたので、去年行った時に、ないなとは思っていたのですが、そういう理由でした。


また田原坂における薩軍の敗退は使用銃器の優劣によるものではなかったというのも、発掘調査から分かってきている。

一般的に薩軍はエンフィールド、新政府軍はスナイドルといわれています。


エンフィールド銃は先込式、弾丸と火薬を別々に込める先込式。

スナイドル銃は弾丸と火薬をひとつに纏めた実包を手元で込める元込式。


装填時間もさることながら、雨の中で強いのはワンパッケージのスナイドルです。火薬が濡れない。

豪雨の中で行われた田原坂の戦い、どちらが優位か、なんて。


…という話ですが、薩軍陣地からもスナイドルの薬莢出てきてるってー。

陥落すべくして陥落…というのではなくて、退路を絶たれる前に退却したのでは、という話らしい。


後世の私たちは西南戦争の帰趨を知っていて、そこから薩軍は局地戦においても負けるべくして負けたんだと、少なからず思い込んでいる所があると思うのですが、案外どうだったかな、と思います。

実際、政府側は開戦1ヶ月程度で戦争は終わると考えていたんですよね。

西郷隆盛が加わっていないと思っていたからこそ、そう考えたということもあると思うけれども。

それが1ヶ月経った時点で”田原坂”ですからねえ。


局地的に見れば薩軍優勢で進んでいた戦場もあり、この時期、必ずしも薩軍の敗色が濃いわけではない。党薩諸隊も続々と参戦しているし。

そういう状況を政府に不満を持つ勢力が見ているというのは、政府側からするとさぞかし気持ち悪かっただろう。

私たちが思っている以上にがっぷり四つで戦ってたんじゃない?

見れば見るほど薩軍はよく戦ってるなとしか思えない。

ただ思うのは、戦略ミスを戦術、局地戦でカバーすることは出来ない、と言うことです。

何時の時代でも、どんな戦争でも同じこと。


大局から見ると、明確な戦争目的(大義名分)とグランドデザイン、全体的な作戦指導の欠落、指揮系統の問題、参謀の不在、兵站の不備(兵力、糧食、武器弾薬、情報伝達手段)…と長期化すればするほど薩軍は不利であるし、まず勝ち目はなかったなと私としては思います。

熊本城取った所でどうだったかなーとも思うし。

城を拠点に九州に割拠、ねえ…うーん…

初動の時点で軍艦も無いしなあ。

後が続かないんじゃないかな。

そう考えるわけです。



西南戦争は今まで文献史料からの情報がほぼ全てでしたが、新しく考古学的手法での史実掘り起しが加わってきています。

新しい発見や知見が出てくる事に大いに期待したいし、楽しみです。

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