サイト更新(近代:昭和天皇と周辺の人々)

ヒジハラ

副題:主に明治(副題?


熊本城(近代)の史跡案内の続きだと思ってたでしょう!

ちがーう!(笑


海軍士官の山本信次郎の話「ダイバーシティ」から派生した、昭和天皇が関わった明治の人々の話です(幼少期から青年期が中心)。

正しくは昭和天皇が戦後に記者会見の場で記者たちに尋ねられて、お答えになった回顧。


昨年こちらで連載していたものですが、今年の初め頃から異様に閲覧数が多くて驚いています。

ご覧頂きましてありがとうございます。チキンなんで怖いです。


出てくる明治の人々は川村純義、足立たか、乃木希典、東郷平八郎、鈴木貫太郎。

伊藤博文の名前も出ています。

足立たかの迪宮(みちのみや)と元勲らとの話は、私結構好きです。

恐れ多いですけど可愛い。笑

難しい話ではなく回顧ですので、お気楽にお読みいただけると思います。


今読んでも笑うのは「東郷元帥の印象ない」という衝撃の一言ですね!(笑)

東宮御学問所の総裁であった東郷は毎日教室の後ろで授業を参観していたし、ロンドン海軍軍縮会議の話なんかもあるだろうと思いますが、まあ、何ともいえない…


私としては川村純義はタイムリーだなあと。

初期の日本海軍の実質的な実力者であったのはこの方です。

妻が西郷隆盛の従妹、西郷の母の兄椎原国幹の娘春子で、西郷とは縁戚関係になる。

この方も西郷に大分可愛がられたひとり。


そういう関係もあって、西南戦争勃発の直接要因のひとつである私学校党の火薬庫襲撃、その直後に出張先の神戸から鹿児島まで西郷を説得に行った。

鹿児島県令大山綱良も面会の労を取ろうとしましたが、私学校党の強硬派に邪魔をされ、結局西郷と会うことはできませんでした。

川村も当時の海軍の実質トップですからね…

西郷と会談できていたら、その後の展開が変わっていたかも?

私学校党のあの雰囲気見ていたらどうかなあと思わんでもないが…

しかし戦争を忌避できたかもしれない最後の機会が、あっさりと消え去ってしまった瞬間でもありました。


9月24日の城山総攻撃の前日、西郷の助命嘆願の為、河野主一郎と山野田一輔が会いに行ったのは当時参軍であった川村です。

ただ、都城陥落の時ならまだしも時ここに至っては既に遅しと川村は助命を蹴った。

薩軍として従軍した義父椎原国幹も亡くなっています。

新政府に残った薩摩人の多くと同様に、川か村にとって西南戦争は懊悩しか残らない戦争ではなかったかと思います。


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拍手いただきました皆様、ありがとうございました!

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