公孫樹、銀杏の城

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B'zのFireballを久々に聞いたのですが、1番の歌詞が長州っぽくって笑った。

あーそういう感じだよね、議論好きだよね。議論してなんぼだよね長州は。

本当にいつもどーして手を組めたのかと思う薩長同盟。

真逆である(薩摩は「議を言うな」)



田原坂の史跡ページ改定は、結局熊本城から、イチから作り始めることになりました…あーあー…

植木も向坂も行ってきたし、そこから始める?→それなら熊本籠城いるんちゃう?→いや籠城て…→てか前年に神風連の乱あるよね→え、敬神党?実学党?横井小楠?→住居跡の石碑とかあるんだけど→井上毅生誕地とかでっかい石碑あるんだけど→近世近代混在してるんだけどどうすればいい?→困惑


困惑…


いやー…どうすればいいのか(笑

熊本城内外に近代関連の史跡が点在しているのですね。

それもあって心情として西南戦争だけピックアップするのも…という感じになってしまい、どう取捨選択すればいいのか、どう史跡を流していけばいいのかが、ちょっと悩ましい。

時系列が一番いいのだろうけど、どうするか。


そして改めて今まで撮ってきた熊本城の写真を見たのですが、城を見ることに夢中であんまり写真がない…!(笑

あっても石垣ばかり!ちょっと!?

(私5・6回は熊本城に行っている筈なんだけど…



熊本城

2012年撮影



熊本城は姫路城の次に好きなお城です。

綺麗だよなあ…本当に綺麗な城だよなあ…

それだけに先年の震災での城の諸所の崩落には本当にショックを受けました。

天守閣が砂埃を上げて揺れるニュースにも衝撃を受けた。

時間はかかると思うけれども、1日も早い復旧復興を願っている。


さーっと写真を見ていて、近代中心なのでそれほど沢山の城の写真を上げるつもりはないのだけれど、没になる写真を幾つか貼り付けようというのが今回のエントリです。

2016年の地震以前の撮影です。



熊本城

2012年撮影



正面からみた大小天守閣。
黒塗りなので烏城とも言われますが、一般的によく知られる別称は銀杏城ですね。

熊本城には籠城の際の非常食として加藤清正が銀杏を植えたといわれていて、それに因んでいます。

とはいえ銀杏は非常食になるようなものではないそうですが。

ちなみに烏城と言えば筆頭に上がるのは岡山城、次に松本城。

熊本城はやっぱり銀杏だな。



熊本城

2012年撮影



石垣!写真の部分は算木積みですね!

熊本城って打込接と切込接両方なのかな。

野面積みもワイルドで好きなのだけれど、見た目の整然とした美しさはやっぱりいいですね。

個人的には熊本城の石垣は好きで、大好きで、ほんとセクシー曲線美だと思う。抱きつきたい!(HEN・TAI)

これだけじゃ何の写真か分からんけどなw

2016年の震災で崩れた石垣、補修にかかっているの穴太衆でしょ?

技術者集団が現代に残っているというのも凄いな。



熊本城

2012年撮影



長塀…と思ったけれど、長塀じゃなさそうだな、ここ…^^;

いつ行っても芝生が綺麗に整備されていて、ハッと目を瞠るような美しさです。

奥に櫓が見えていますが、何の櫓かなー。

名前が分からん。

(国指定の重要文化財である長塀は2015年の台風で傾き、2016年の地震で一部損壊。櫓や櫓門も多く崩れています)



熊本城

2015年撮影



宇土櫓(うとやぐら)。国指定の重要文化財。

熊本地震で熊本城の多くの建造物が損壊しましたが、宇土櫓はなんとか無事でした。

傾いたり漆喰の剥落があり、大規模な修復工事が必要にはなるものの、建物の構造自体には問題はなかったそうです。


熊本城は明治10年西南戦争の際に政府軍(熊本鎮台)が籠城しますが、その直前に失火で消失しております。

天守閣や本丸御殿、多くの櫓や櫓門がその時に焼け落ちてしまい、また焼け残った櫓などもその後に破却されたりと、築城当時から残っている建築物は13棟と少なくて、宇土櫓はその内のひとつ。


そういう訳で、現代の熊本城は後世の建造であったり石垣である部分も多いのですが、先年の地震で崩れたのはそういう部分ばかり。

築城当時から残る部分はほぼ崩落を免れて、宇土櫓も無事だった。

清正と、当時の土木技術者集団が作った櫓や石垣が残ったという一事には、本当に何とも言葉で言い表すのが難しい、一種の感動を覚えます。

この、土木技術のすばらしさ…!


池波正太郎の『真田太平記』読んだことあります?

私あの清正が大好きで。本当に、めちゃくちゃかっこいいの…

真田太平記なのに最早清正の事しか覚えていないとかいう、一体何の本読んだんだろう私。

さなだ?なにそれおいしいの。なんなのあのカッコよさ…

それだけにあの急転直下の毒殺劇に物凄い衝撃を受けるのですね。



20180811 



そしてこれ。

詳細がどうしても思い出せない。

熊本城天守閣と宇土櫓の間に生えている木。

天守閣の中にあった解説で、赤い皮の木は西南戦争時云々と書いてあったと思うのだけれど、それが何だったか、どーしても思い出せない…

解説の写真撮ってないかと探したのだけれど、なかったわ。

グーグル先生に聞いてみたのだけれど、いまいちよく分からない。

誰かご存知ないですか。



熊本城

2015年撮影



2016年に熊本に行った時は市街地の方には行かなかったので、今の所2015年が最後の訪問です。

しかも2015年の訪問時、まさかの荒尾(宮崎八郎・滔天兄弟の故郷)に台風上陸である。

いや、まさかのというか、安定の災害女(もはや)という感じで爆笑(するしかない)だったんですがorz

 自分がいる時に台風で土砂崩れ
 自分がいる時に9・11テロ発生
 自分がいる時に震度6(震源地近く
 自分がいる時に台風上陸

大体電車止まるね!



熊本

2015年@熊本駅



いやー駅前でトラック横倒しになってるわ、木は根こそぎ倒れてるわ。



熊本城 

2015年@熊本城



熊本城のお堀も樹木が凄いことになっていました。

この時でも天守閣のガラスが割れたり長塀も傾いていたりと被害が出ていた。

この旅行では割と熊本城から近い所、JR熊本駅からは離れた所に泊まっていて、しかも交通機関が何も動いていないという。うおー…

道路にはばっきばきに折れた街路樹とか、プールとか、ん?と思うようなものがあっちこっちに転がっていたり道を塞いでいたり。



熊本城



台風前日から閉城?と告知はされていて、風雨が収まっても流石に入れなかったので、外から天守閣を眺めるだけでした。

辛うじて駅の傍に在る北岡神社には行ったのだけれど。


それから1年経たない内にあの地震でした。

あちこち無事だったのだろうかと。本当に今更ではあるけれど…


本当に、1日も早い復旧復興を願っております。

頑張れ…

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4 Comments

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ジゴロウ  

おそらくですが

加藤清正が植えたらしいけど、雄の木だから身がならない→清正が植えた話は嘘じゃない?
て言われてる木ですか?
天守と同じ高さになったら、何か起こる→西南戦争→戦火で焼けたと思ったら、まだまだ生きてた。
なら、有名ですが…

それはそうと、薩長同盟で思い出しましたが、司馬遼太郎が長州でタクシーに乗った時、「薩摩が、倒幕は薩摩が主力って言ってた」みたいなこといったら、運転士が「薩摩の野郎」てブチ切れた逸話を思い出しました。
本当に、よく組めたものですね(笑)

2018/08/13 (Mon) 05:47 | EDIT | REPLY |   

ヒジハラ  

>ジゴロウさん

焼けたと思ったらまだ生きてた。

それだ!それだと思います!
西南戦争絡みだから写真を撮った覚えがあるので。
本を読んで、目にしている筈なのに何故引っかからないのか…^^;
ありがとうございます。すっきりしました(笑

>「薩摩の野郎」

(爆笑)
いや、分かります(笑)でも主力は薩摩じゃないかと私も思う(笑)
でもそれ長州で言っちゃダメですよね~
しかも薩摩が言ってたは最悪の言葉のチョイスですよ~^^;
流石大作家と言うべきなのか…(笑

2018/08/14 (Tue) 07:23 | EDIT | REPLY |   

ジゴロウ  

何度もすいません。
前のコメントと別の、明確なソース入りの察知話みつけました。

星亮一氏・著
「会津藩はなぜ「朝敵」か。
幕末維新史最大の謎」
からです。

司馬遼太郎が山口でタクシーに乗った時、運転士さんが、
「海音寺潮五郎(鹿児島出身の小説家)が書く西郷隆盛の話には、少しも長州のことが出てこない!けしからん!」
と怒りました。
それを司馬さんが海音寺さんに話すと、
「長州の奴ら、そんなこといってましたか!」
と、憤慨したそうです。
どっちにしろ、両方を煽るスタイルの司馬遼太郎には、俺たちが出来ないことを(以下略)ですね(笑)

2018/08/14 (Tue) 21:17 | EDIT | REPLY |   

ヒジハラ  

>ジゴロウさん

ソースの確認ありがとうございます。
そして、す、すいません…笑う話じゃない筈がつい笑ってしまう…(笑
本当にそこにしびれ…あこがれ…はしない…^^;
なんか司馬遼らしいといえばらしいエピソードだなという感じがしますね…

2018/08/14 (Tue) 21:41 | EDIT | REPLY |   

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