帰ってきました。

何時の話やねんという突っ込みはおいといて。

少々ばたばたしていて間が開きました。
6月ですね。


関西もあっという間に梅雨入りしそうで、なんだかなあ…
今年の5月は五月晴れという感じではあまりなく、本当になんだかなあ…
冬が一番好きなのですが、花粉も終わって天気の良い5月の気候好きなんだよなあ。残念。


さて先週ですが、広瀬武夫に関し、広瀬神社の例大祭に参加させていただきました。
今年が生誕150年ということで、参集者数も凄くて本当に盛会でございました。
今迄何度か例大祭には参加させていただきましたが、私完全に場違い。笑
お呼ばれしてよかったのかなーと今更ながら…^^;

記念品なども頂きまして、広瀬好きとしては嬉しい限りです。
また広瀬武夫グッズコーナーに写真を載せます。笑
あまり更新ないかなと思いきや、忘れた頃に更新される頁となりつつある…


現地では秋山好古・真之生誕地の関係の方非常に良くして頂きまして、色々お話を伺いました。
現在坂の上の雲ミュージアムで秋山真之展が開催されている最中ですが、そちらの図録まで頂いた!
わーい。
こちらのミュージアムは図録のつくりが丁寧なので、見ていて嬉しくなります。
展示替えはあるものの、会期が長いので会期中には一度足を運びたい。
今年は鹿児島にもちょっと行っておきたいので、どうかな、行けるかな…


竹田に行く前後に別府と大分に寄りました。
あまり時間がなかったので本当に慌しく落ち着きなくという訪問でしたが。


大分の方では先哲史料館に寄ってきました。
堀悌吉(杵築出身)の史料が見られないかと思っていたのだけれど、残念ながら1点もなかった。
ただ資料集がまた1冊出ていました。2巻で完結かと思いきや。

また五峯録が収録されている。

どう違うの?^^;


個人的に嬉しかったのは重光葵(まもる)の史料が幾つか出ていたこと。
重光は豊後大野の出身になります。
外交官登用試験に受かった際の実家宛の書簡が出ていました。
洋服を誂える必要があるなど結構物入りだったようで、実家へ資金の無心の書簡だった。笑
湯河原にある記念館にも行ってみたい。


そして別府ですが、こちらには井上馨の史跡があるのですね。
みさわちゃんと萩に行った時、一坂太郎さんから色々井上の別府での所業を聞いていて、一坂さんの〆の一言が、


「悪人ですよね」(笑顔)


わろた。
その日旅館で一坂太郎さんの本で井上の所業を確認して、井上大好きみさわちゃんの一言。


「聞多悪人やわ」


笑う。(聞多は井上の旧名)
確かにいくら好きでも自分で自分の銅像建立とかは趣味が悪いと思う。笑


そんな聞多ですが、幕末長州藩の激しい政情の揺れ動きの中で一度死に掛かっています。

実家のある湯田温泉近く、袖解橋の辺りで俗論党の人間に襲われて瀕死の重傷を負っている。

顔面、頭、背中、腹、胸と言った箇所を深く斬られ、また刺され、余りの傷の深さに井上は兄に介錯を頼んだ。


ヒジハラ「写真に傷ない」

みさわ「顔は修正済み」

ヒジハラ「あー…うん、ソウネ…」


近代マジック。笑

出回っているのは修正済みの写真。

介錯を頼む息子を母親が必死で止め、また偶然にもやって来た医師所郁太郎(美濃の志士)によって一命を取り留めます。

この時所は医療道具を持っておらず、畳針で50針を縫うという荒療治でござった…


で、この体調回復後に井上は別府温泉に療養に行っているのですね。


井上馨@別府 



療養というより、第一の目的は俗論党から逃れる為で、その時に匿ってくれた旅館があったそうです。

明治44年に別府を訪れた際、井上は感謝の意を込めてこの旅館に「千辛万苦ノ場」と認めた扁額を贈っている。

奥に見えている建物はその旅館の復元だそうです。


随分昔から気になっていたので、今回訪問できてよかったです。

史跡のデフォルト、石(と家(復元))しかないけどな!(笑

関連記事

0 Comments

There are no comments yet.

Leave a comment