(12)コヒマへのルート

じーちゃんの所属部隊、山砲兵第31連隊第3中隊の行軍ルートの確認をしたのさ。
自分でもまだそんなところにおるの?と思う事頻りなのだけれど、調べているほどには進んでいないというのが我ながら辛い。
富士山にはてっぺんまで登ったけどさー日本アルプスとか想像つかんのよ。
ジャングルとか見たことないしさー。


20180225_インパール作戦


そしてグーグル先生本当にありがたい。
上の俯瞰図はもっと寝かせることが出来るのだけれど、寝かせるとコヒマが分からなくなる程の遠くである。
タマンティーレイシーモーレーゼッサミと真直ぐ行きたかったらしいのだけれど、レイシからモーレで迂回してるのね。
山岳がキツ過ぎて遠回りせざるを得なかったらしい。
そしてモーレのラインがインドミャンマーの国境です。

左端の茶色い河がチンドウィン河です。
この大河の畔で力尽きた日本兵が幾人も幾人も亡くなった。
河幅は乾期で大体5、600m程らしく、地図上で計っても大体そんな感じ。
雨季には1キロ超える。
ちなみに上の写真、あれこれの角度から見た母の感想は、
「陸軍の上層部ってキ〇〇イなの?」
うん、私も初めて見た時そう思った。


201802252_インパール作戦
(これだけじゃ中々想像できん…)


インパール作戦に参加した3個師団の内、第31師団は最右翼(最北)を担当しました。
要衝コヒマを押さえて、ディマプールからインパールへの英印軍の増援を防ぎ、インパールを攻撃する第15軍、第33軍の背中を守る役目。

第31軍は更に左、中央、右突進隊の3つに分かれています。
コヒマ攻撃の主力は中突進隊。
右突進隊が向かったのはコヒマより更に西、ディマプール寄りのズブサとかプリヘマという辺りで、インパール作戦に参加した部隊の中では最西に出ている。
役目は恐らくコヒマ攻撃に入る中央と左突進隊の援護だろう。

上写真のタマンティが右突進隊の出発地で、ここを出発したのは歩兵第138連隊の第3大隊になります。
歩138は奈良で編成された部隊。
このさ、歩138の第1大隊・第2大隊、山砲兵31の第1大隊の第1・第2中隊は中突進隊で主力部隊。
歩138の第3大隊と山砲兵の第1大隊の内第3中隊だけ右突進隊になってんの^^;

第3中隊、中国戦線での動きを見ていてもなんだか本当に微妙な所があって、この中隊だけ別行動とか…
共通の体験談が他の中隊と比べて少なく、ものっすごい調べにくいorz
配属されていた歩兵部隊史も調べざるを得ないので(一緒に行動するので)、余計に時間がかかるとう…

そしてさ、今配属部隊であった歩138の回顧録を借りとる訳ですよ。
これ本当に回顧録で、おかしいなあ、部隊史って大体歴代連隊長とか連隊の年表とか、載ってるはずなんだけど、そういうのが何ひとつない。
お陰でこの後に及んでアジ歴で歩138の陣中日誌でピンマがどこかとか調べとった訳ですよ。

そしたらとあるサイトで別に連隊史があることが判明。


064f6e6b1f97f972c29566670d4bf0ba.jpg 


もうね、もうね……!!(涙)
それにミャンマー、戦前と戦後で全然地名も違うし…!
とりあえず昨日他館貸出し依頼してきた。
貸してもらえるかどうかまだ不明だけど大丈夫かな…
ほんっと時間かかる。

ただ中国戦線からインパールまでを見ていて思うのは、うちのじーちゃんの部隊、微妙に”軍主力”からは外れている。本当に微妙に。
もしかしたら第3中隊ってそういう位置?
中国でも激戦地には行っているし、所属部隊も何度か壊滅しかかっているのだけれど。
運かな…
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