(10) インパール、所感

寒い日が続きますね。
昨日今日は地元でも若干吹雪いておりました。
大寒波という程ですので今年はよほど寒いようですが、私はそろそろ花粉がアップ始めたらしいと聞き戦々恐々としております。NHKめ朝から余計なもの見せやがって…
春なんか来なきゃいい(※春が一番嫌い)と思うけど、そうもいきません(そりゃあね)。
皆様もお気をつけくださいませ。

日曜日の早朝、NHK「目撃!にっぽん」で「家族たちのインパール」という番組を放送していました。
途中から見たのですが、何と言いますか…
出ておられた方皆さん同じような使命感と言うか、自分の父や祖父のことを、生きて帰ってきた戦場のことを知りたい、後世に残したいという気持ちで動いておられて、今正にその真っ只中にいる私としては色々思う所がありました。

私も祖父が生きている内に聞いておけばよかったと今になって思います。
聞いても答えてくれなかったんじゃないかなとは、思うのだけれど。
家族にも何も話さず、弟が聞いても婉曲に拒否されて。
話したい内容でも、話せる内容でもなかったってこと、今ならわかる。
だってあんな過酷な戦場にいたなんて思わなかった。
でも亡くなる数年前に、家に自分の軍歴と襟章、軍帽についていたらしき星、軍服姿の写真をきちんと額装にして掛けていて、何か心境の変化があったのではないだろうか。
そう思うと、やっぱり少しでも聞いてみればよかったのではという後悔がある。


**


祖父は中国でいくつか大規模な作戦に参加していました。
大規模とはいえ、私としては纏めるのはそんなに大変ではなかったのですよ。
作戦の目的が非常に明確で、命令系統も複雑ではなくスパーッとしているからだと思う。
細かい戦況で困却するくらいだ。

それに引き換えインパールはどうだ…
大本営の参謀本部、南方軍、ビルマ方面軍、インパール作戦を実施した第15軍。
いずれもそのトップがその仕事を全うしていない。
見ているといずれの司令部の参謀長、作戦主任参謀、後方主任参謀も、牟田口廉也が持ち出した作戦構想に反対、もしくは責任が持てないと、できないとしている。

各々の司令官はそれを無視した挙句反対者を更迭したり、人情論、組織内の融和を優先して(たっての希望だからやらせてやりたい、顔を立ててやれといったもの)反対者を抑えこんでいる。
一体参謀は何のためにいるのか。
 
牟田口の作戦構想は下記2点に集約される。

・インパールを急襲撃破して一気にアッサム州まで進攻する
・食糧弾薬は持てるだけ持って行く。
 無くなったら奪取したインパールの敵軍の弾薬糧秣と輸送力を利用する

( ゚д゚)  …

私でもこんなこと言ってくる将軍の正気を疑う。
問題は大きく分けてふたつある。というか問題しかない訳だが。

ひとつめ。
インパール作戦は「ビルマ防衛」の為に必要だとして実施が認められた作戦です。
守勢防禦から攻勢防禦に出ようという話。
そして進出ラインはインパールまで。
大本営においても南方軍においてもビルマ方面軍においても、これは絶対。

しかし牟田口中将の考え(目的)はこう。
アッサムまで出て英印を分断→インド独立からのイギリスの大戦離脱→戦局を有利に転換

ビルマ防衛どこ行った。
これに関しては全ての上級司令部が許さず、再三に亘り牟田口を強く戒めています。
放っておいたら牟田口の事だから勝手に突出しそうと見ていた高級参謀もいた。

ふたつめ。
糧食弾薬無くなったら敵のを奪取って。
獲らぬ狸の皮算用もいい所で、むしろそこまでの補給が問題なのである(白目
アラカン山系の中にあるインパールとコヒマは、標高2000~3000mの山岳に囲まれているのですよ。
これ、調べたら大体日本アルプスと同じ位で、日本アルプスの中にある都市と思うとイメージしやすい。
そして高地の部分はジャングル、勿論車なんて使わず徒歩。
踏破距離はコヒマへ向かう師団で400km、南方からインパールへ向かう師団で470Kmという概算がある。
ちなみに東京大阪の直線距離が401kmです。
しかもまともな道が無いのですよ。
自動車道1本、2本ある位で、あとは虎とか象が通るような道しかない。
要するに補給路がほぼないに等しい。

40キロぐらいの装備を背負って、日本アルプスを登ったり下ったりしながら400km超、それも敵と戦いながら短期間でインパール・コヒマまで進撃。
目的地に着くまで追加のごはんはない。弾丸もない。
…そんなこと、できるの?

方面軍参謀が補給について第15軍の兵站主任参謀に聞いてますよ。
そうしたら、

「野草を食料にする研究をしている。インパールやコヒマまでは携行食糧と野草、現地食料で食いつなぐ」
「そんな危険な方法でこの大作戦が出来ると考えているのか」

杜撰ここに極まれり。

そらまともな神経を持っていたら反対するだろう。
だからこんな計画、もっとちゃんと考え直せと。
南方軍の参謀副長稲田正純に至っては、インパール作戦の必要は認めても、適正な作戦計画に修正されない限り、絶対にやらせないとまで口にして、それを大本営にまで認めさせていた。
それなのにどうしてこんな作戦が認可されたのか。

組織内の調和が優先されたのがひとつ。
インパール作戦には戦略的な意味の他、政略的な意味があったというのもひとつ。
あざなえる縄の如しというのが正にぴったりだと思うけれど、作戦の認可経緯を見ていると、ある意味日本的な、日本の一番悪い所がストレートに出たのだと思う。
合理性を排して円滑な人間関係を尊重し、「必勝の念」とかいう腹の足しにもならない信念で作戦を推し進めようとする。
「日本人は元々草食だから、野山の草食ってりゃ戦える」?
お前が戦え。
竹槍でB29が落せるなら戦争に勝っとったわ。


見ていて一番驚くのはやはりというか牟田口廉也で、
「インパール作戦の目的はビルマの防衛であって、インド進攻ではない」
と兵棋演習で繰り返し確認されているにも関わらず、全然それを理解していない点。わざとなの?
しかも作戦実施に当たり、第31師団の師団長にディマプールまで行けって。ディマプールまで行けって。(アッサム州の入り口)
これは軍令違反ではないのか。

出先が中央の意に反して軍事行動を執る。
それまで何度も繰り返され、それが国を戦争に追い込んだ一大要因であったわけです。
牟田口がアッサム進攻に拘った理由のひとつには、アッサム進攻で戦局を日本に有利に転換させ、戦争を終わらせるきっかけにしたいという気持ちからであったそうです。
自分が盧溝橋事件の当事者であったから、思うところがかなり大きかった様子。

ただそんな風に思うのは、すぐ終わるはずだと思っていた日中戦争がいつまで経っても終わらず、その上東南アジア・西南太平洋であんな極限にまで追い込まれてしまったからだろうよ。

それをまた出先の勝手な軍事行動(しかも個人的な信念に基づく)でなんとかしたいだなんて言う所に、救い難い自分勝手さを感じます。
牟田口はこれが国家のためだと、勝手な軍事行動だなんては思っていなかったと思うけどな。


ついでに書けば、最後の陸軍大臣阿南惟幾も、第2次長沙作戦で似たような事をしている。
終了を目前にした作戦を思いつきに近い形でいきなり変更して、食糧も弾薬も持たさずに隷下師団に敵を長駆追撃させ、挙句重包囲されて軍(師団ではない。軍である)が全滅しかかった。

武人の鑑のような連隊長が、阿南軍司令官のさらに上級司令官に、
「どうして止めてくれなかったのか、どうしてこんな戦をさせたのか」
と泣いて詰った場面が忘れられない。
(する必要のない作戦の為に、死ななくてもいい部下が大勢戦死している)

それでも、これだけの失敗をして、大勢の兵隊を殺しても、誰も責任を取らないのである。
インパールでも、第2次長沙作戦でも。

本当に何と言うか…
モヤモヤ、ぞわぞわしてたまらなくなる。
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