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先日BS朝日の「歴天~日本の歴史を変えた天気~」という番組の最後の方を偶然見まして。
日本海海戦の際の気象予報と、気象予報士の岡田武松の話をしていて中々面白く見ました。
この話、きっと『坂の上の雲』で出てきていると思うのだけれど。
…全然…記憶にない……^^;


明治政府がかなり早い段階、明治1桁台で気象観測を始めていたことに驚きました。
そんな時期から何のために必要だったの?


気象庁のHPによると測量関係から気象観測の必要があるとお雇い外国人に建議されている(三角測量であったので、気象補正が必要であったためと思われます)。
また地震が多い日本で測量をするにはまず地震観測が必要だとして(測量するのに側点が移動したら困るので)、気象予測の器具と共に地震計が持ち込まれたそうです。


気象台設置が決まったのは明治6(1873)年5月というので、征韓論が酣?の頃。
観測が始まったのは明治8(1875)年5月で、日本人が観測主任になったのは明治10年6月。西南戦争の真っ只中。
そしてその後。



ドイツ人のクニッピング(E.Knipping)の尽力により、明治16年2月16日から毎日1回午前6時の気象電報を全国から収集できるようになり、当日に東京気象台で初めて天気図が作製(試行)されました。


同年3月1日からは毎日の天気図の印刷配布が始まりました。
また、同年5月26日には東京気象台で初めて暴風警報が発表されました。
さらに翌17年6月1日には毎日3回の全国の天気予報の発表が開始されています。


この最初の天気予報は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」という日本全国の予想をたった一つの文で表現するもので、東京の派出所等に掲示されました。

気象庁の歴史:別窓)



>日本全国の予想をたった一つの文で表現


すまん、笑った。無茶振り過ぎる。笑

しかしこの明治17(1884)年6月1日が天気予報が開始された日になるとのこと。
へー。

明治16(1883)年の段階で気象電報を全国から収集できるようになっていたということですが、通信技術の発達も本当に目覚しい。
西南戦争で薩軍が敗北した要因のひとつは、この通信(情報伝達、収集網)であったといわれています。

海底通信ケーブルでさえ敷き初めは明治5年ですからね。

明治に入ってからの新技術導入の勢いは本当に目を見張るものがあります。

しかも結構多角的。



木村摂津守(芥舟)(好き)の三男、木村駿吉が海軍に

「3年で148kmくらい届く無線電信機を作って」

と無茶振りをされて三六式無線電信機の開発をしていたことは以前触れたことがありますが、ほんまにそれを作ってしまいますからね。しかも1年半ぐらいで。


日露戦争後に秋山真之が木村に当てた書簡には

「日本海の大捷は天佑神助によると雖も、無我無心なる兵器の効能も亦頗著しく、就中無線電信機の武功抜群なりし」

という一文がありますが、無線電信だけでなく気象科学も、明治になって新しく導入されたあれやこれやの分野の叡智が「皇国の興廃この一戦にあり」に集約され、勝利に繋がったのだろうと思います。


木村駿吉は日本海海戦での勝利の報を聞いて、思わず床に跪いて合掌した。

その後1年ほどは深い感激と安心の中でぼんやりと過ごしたそうです。

華々しさはないかもしれないけれど、こういう話は胸が熱くなる。



久々に明治の話を聞いて、めっちゃ恋しくなってしまった。

先週みさわちゃんにも「そろそろ明治が恋しい」と訴えたばかりである。笑

しかし今明治に戻ることも出来ないので、サイトの「固め修めし大八洲」(戦艦八島の話)を久しぶりに読んだのですよ。
面白いな…(自分で言うなよ…
山梨勝之進が残している八代六郎の話が好きです。

坂本一の話も好き。


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