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11 2017

立見尚文 書簡10通発見

陸軍中将の書簡10通発見 日露の激戦を伝える(日経新聞 11/2)
桑名版「坂の上の雲」 桑名出身の陸軍大将・立見尚文の諸戸清六あての書簡が発見される ~ 大政奉還150年記念特別企画展で一般公開 ~ (桑名市 10/5)


書簡の宛先は桑名の豪商。
そのご子孫様が桑名市に寄贈した史料の中に含まれていたとの事。
書簡10通の内9通が日露戦争時のもので、黒溝台の戦い辺りに書かれた書簡もあるそうです。
桑名市博物館で今月26日まで展示。
この特別展(「幕末維新と桑名藩- 一会桑の軌跡-」)結構面白そうですので、興味ある方はどうぞー。
松平定敬の書簡は初公開になるそうです。

立見大将は未だにこれがどうなってるのかというのが気になる…
大阪、真田山にある陸軍墓地の親戚なの?というか養父なの?という方のお墓。
立見が養子に入った先の方なのではないか疑惑(長い)があります。
墓石には立見尚志(養父と同名)と刻まれていて、しかも三重出身になっていたのですよ。
どうなんだろう。

立見尚文 


そして立見は”立見大将”というより”立見鑑三郎”という方が私にはなんだかしっくり来るのです、実は。笑
土方歳三と一緒に戦っていた。
土方さんてどんな人でしたか、立見さん…
そして戊辰の戦い、北越戦争で奇兵隊を打ち破り、歴戦の奇兵隊参謀時山直八を討ち取ったのも立見になります。
このことで北陸道鎮撫総督府参謀であった山縣有朋が随分同胞から責められている。
山縣クラスの人間に
「お前はあの時俺の前から逃げていった」
とか言い放てた数少ない旧幕府軍側出身の将軍。

ついでに書けば、栃木県矢板に山縣有朋記念館(古稀庵)があります。
何年か前に行ってきたのですが(遠かった)、そこで時山の遺品を見まして。
やっぱり仲良かったのだろうなと思ったのですよ…
あそこには池田屋事件で亡くなった杉山松助の遺品もあって、幕末には長州から入った私としては色々と感慨がわく記念館でありました。


続きに拍手のお返事があります。


>青山さま
初めまして。
青山忠橘氏については私はお名前しか存じ上げませんが、軍医しての参加、本当に脚気撲滅に寄与されたおひとりだと思います。
本文ではほんの僅か触れていませんでしたのに、ご丁寧にコメント頂きましてありがとうございました。
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