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21 2017

軍歴証明書ノート(6)

亀の如き歩みで昭和15年末の入営前後の話から漸く長沙作戦までやってきました…(アウトプット
あとどの位かかるんでしょうね。
 
取り敢えず親戚に配布するのに30部欲しいということで。
30部か…
うーん、これ製本か?同人誌か?友人に聞くか?と思っていたのですけれども。
あれこれと調べたらば、最近のコンビニのコピー機が凄くハイスペックになっていた。
自分に用途がないので知らなかっただけですが、USB保存の文書から中綴じの小冊子プリントが出来るという。
もうこれでいい。ぎりぎりまで頑張れる…orz

ページが4の倍数に達したあたりで、製本したらどういう見栄えになるのかを確認すべく(年寄りばかりなのでな!文字が小さいとか論外なのだよ!笑)実際にプリントしに行ってみました。
まあいい感じなんでない?
少し整うとそれらしく見られるから不思議ですね。


20170921




そして陸軍さんの軍事用語が分からなくて辛い。
そもそも一括りに野砲って書いてあるけど、そもそも野砲とは何ぞや。
野砲と山砲ってどう違うのとか、そのレベルからですからね!この物知らず!
というか私山砲の読み方を長らくさんほうだと思っていたのだけれど、さんぽうだった。
さんぽーへーだった…(そこからかー
しかしながらあれこれ読んでみてスペックをやや理解した辺りで、本を読んでいても少し見当がつくようになってきた。
基本的な所を押さえるのは大事ですね。

野砲というのは「野戦砲」のことで、野戦場で用いられる大砲のこと。
野戦場での使用が目的なので、装輪砲架(砲架に車輪をつける)で移動できるというのが最大の特徴。
逆に固定して使うのは海岸砲や要塞砲になります。
この野砲、いくつか種類があって、それが榴弾砲、野砲、山砲。
……?
野砲の中に野砲…(この辺りで既に混乱気味
お、おう…。代表的な砲ということか…?
陸軍の花形として使用されていた大砲は主に野砲・山砲だそうです。
で、これがどう違うかというと、一番の差異は山砲が分解できるという点。

普通に考えると、大砲は口径が大きくて砲身が長いほど破壊力があります。
しかしながらそれは「大きくて重い」ということで、そういうものは山岳地帯とか、ジャングルとか湿地では使えないのですよ。
大型であればあるほど運用するのに多くの人員と馬、車両が必要になるので、展開できる地形が限られてくる。
馬と車両は大砲の牽引力です。
砲兵部隊の起動源であって移動の際に絶対に必要で、お馬ちゃんや車が通れる所じゃないといけない。

これを解決したのが山砲で、これは野砲からの開発になる。
大東亜戦争時期、主力であった野砲の重さを調べると、放列重量で大体1~1.6トン(放列重量とは射撃状態での重量のこと)。
人間の力で移動させるのは無理である。
これに比べて山砲は大体540kg、これをいくつかに分解して、馬もしくは人間で運べるようにした。

運べるようにって簡単に言うけれど、分解したパーツ、1個大体100キロあんねん。
それひとりで持つねん。
日本人の体格から臂力搬送は100キロ辺りが限界というのが陸軍当局で研究した結果。
100キロ無理?重い?
精神力でカバーしろ。(真顔
ノモンハン事件後のセリフと全く同じで震えるわ…
100キロある砲身を持って訓練場にあるとある丘を駆け上るのが山砲兵の華と言われたそうです(白目)


山砲臂力搬送
臂力搬送の様子


動画もyoutubeで出ていた。⇒〔日本軍〕野砲・山砲(別窓)
確かに野砲とは大きさが大分違う。

山砲は比較的優秀で身体頑健な兵が選ばれ、実際に大柄な人が多かったそうですが、これは確かに頑丈でないと無理だっただろう。
あと分解した砲を背負った人の話として、腰が抜けるほど重かったというのも見たのだけれど、腰が抜けるとかいう重さではない。


山砲臂力搬送
100キロ…


分解した山砲の駄載と卸下は、初年兵の頃に随分訓練されたようです。
分解から6馬への駄載を6人の砲手で、1分半で行う様に訓練されていたようで、砲手の一糸乱れぬ連携が必要だった。
初年兵から見ると神業に近かったそうです。
しかし初年兵でも訓練を続けて1ヶ月過ぎる頃には2分以内に作業完了できるようになっていたというから驚きます。

山砲兵は分隊に1門山砲を持っていて、6人の砲手、4人の弾薬手(弾薬班)がいる。
山本七平の本を見ると、砲兵は観測・通信・砲手・馭者のパートに分かれていたようだけれど、どれか被っていたりするのかな?ちょっと分からん。
山砲兵第19連隊の弾薬手であった人によると、弾薬手は各種信管に関する種別、特性、着弾距離による装薬の分量といった教育を受けたそうで、山砲兵にはある程度優秀な人が選ばれたというのに納得しました。
山砲だけでなく砲兵全体を通じての話だったのだろう。
ちなみに本当に優秀なのが選ばれるのは通信兵、そして輜重兵であったそうです。
これは『兵隊たちの陸軍史』に載っていた。


山砲1門を駄載するために馬は6頭必要になります。
12・3人の1個分隊に山砲1門、馬6頭。
大体2人に1匹の割合で馬がいる。
長沙作戦時の山砲兵第40連隊2011人に対して馬は1217頭。
やっぱり大体2人に1匹で、馬は本当に大事にされていた。
一頭一頭にちゃんと名前があって、砲兵は自分のことよりも先に馬の世話。
人の名前を覚えるよりも先に馬を覚える、という感じであったそうです。

砲兵は傍に馬がいたから悲惨な戦場でも人間性を比較的保っていられたという文章を読んだことがある。
戦友会誌を読んでいると、本当にそうだったのだと思う。
物言わぬ戦友であり、妻であり、恋人であり、子供であり。
インパール戦の撤退で食糧のない中自分の割り当て分を馬に与えていた兵。
慈しんでいた馬が死んで心が壊れた兵、後を追うようにして病死した兵。
人の運命も悲惨だけれど、馬の運命もまた悲惨で、インパールの辺りの話は見れば見るほど悲愴な気持ちにしかならない…
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