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26 2014

矢部定謙と大塩平八郎(2)

2・26事件の日ですが今日も江戸時代の話です。
近代史好き的にはそれどうなのという感じですが、2・26事件の話は今まで結構してきてるからなー。
そんなに書けるネタがあるわけでもないので、まあまた違う機会に。

き、昨日はすいませんでした…(笑)
ああやって話がずれていき、お奉行様がどこかに行ったんですね…
読んで下さっている方から若干引かれているような気がしないでもないですが、好きなだけにエキサイトしてくるんです。察して。
サイトの更新案内で軽く内容に触れるだけだった筈が、もう既にそこからしてずれてるし…
まあいいや。好きなように好きなことを好きなだけ書きます。だって私のブログだし。(開き直り)



天保の大飢饉によって関西でも餓死者が出ているのに、大坂町奉行は有効な対策を採らず、大塩平八郎が提言しても梨の礫であったこと。
大塩が私財を売り払って貧民救済に宛てたことは昨日書きました。
大塩が乱を起こした際の旗印は「救民」でして、確かに庶民救済を訴えてという点もあるのですが、幕府高官や大坂町奉行所の腐敗や役人と商人の癒着に対する憤りも大きかったと思います。
幕府内の不正一掃を訴える、寧ろこちらが主眼だったのではないか。

大塩は与力在任中、大きな事件を3つ解決しています。
有名な話ですが、ひとつは隠れキリシタンの摘発、ひとつは破戒僧の摘発、最後に大坂町奉行所内の腐敗の摘発。
最後は同僚の摘発になるわけですが、この腐敗(不正無尽でした)、糸を辿れば幕閣まで繋がっていた。

蜂起の直前、大塩は江戸の老中に宛てて老中らの告発状・建議書を送っています。
その中で老中を含む幕府の重職らの不正を告発しております。
老中って簡単に言うけど、天保の改革の推進者、水野忠邦ですよ。
重職といってもひとりとかふたりとかいう規模ではなく、関係した人間をあげたら幕府の職制表そのままが出てくるという、そういう規模。

水野忠邦は自分が幕閣に入って国政を執りたいが為に様々な運動をしておりますが、不正無尽はその資金源のひとつであったようです。
水野はもともと唐津の殿様でしたが、唐津では出世しても奏者番にまでしかなれない。
いや、そうじゃない。俺は首相になりたいんだということで、自ら領地替えを申し出る位なので、不正無尽なんてなんてことなかっただろうな、この殿様…

また大塩は矢部定謙を含む元大坂町奉行数名の不正・失政を糾弾しています。
これが具体的で、行き違いとか大塩の勘違いとかでは済まない所があるような感じで、従来言われている矢部と大塩の関係からすると「ん?」という感じに…
先日矢部と大塩は親しくしていたと書きましたが、この辺りがね~
実はちょっと引っかかるんですよね…
親しくって一体どの程度だったのかと。
個人的な付き合いも含めてなのか、仕事上だけのことなのか。

とにかく、矢部からすれば有能だった人間(の能力と経験値)を利用するというのは、まあ特に問題ない。
後任の跡部にうまく付き合えという位なので、個人的付き合いはひとまず措いても、そういう面は大いにあったと思う。
大塩からしても自分の意見を行政の参考にするって言ってくれるのだから、心中矢部をどう思っていたにせよ無暗に無下にすることもない訳で。
両者の間に信頼があったにせよなかったにせよ、ギブ&テイクではあったと思うし、
後世の人間が想像するより、実はもう少しドライな関係だったんじゃないかなーという気もする。

ただ、私が思うにこの大塩の告発状に書かれている矢部の行状、誰か検証してるのかな?^^;
米価の不正操作とか、不正を隠すために商人を殺害したりだとか、そういうことが告発されているわけですが裏付けってあるんでしょうかね…


続きます。


なんか花粉が飛んでる気がする。
目の周りが痒いような痒くないような…(涙
先日ティモシェンコさんを元大統領と書きましたが、元首相の間違いです。
書き直しときました。
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