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10 2016

シーボルト事件(2)

(タイトル変えた^^;)

*シーボルト事件

文政11(1828)年、5年程日本に滞在していたシーボルト(出島、オランダ商館の医師)が帰国する際、その所持品の中に国外持出禁止品があることが判明。
これに関係したオランダ通詞を初めとする日本人多数が処罰され、シーボルト自身は国外追放の上再渡航禁止となった。

******

シーボルト事件で処罰された一番の大物が高橋景保で、処罰の理由は国外持出禁止の品を渡していたため(そのものではなく縮図を写したものだったそうです)。

基本的に東インド会社の社員は出島からは出られない。
しかし、将軍への挨拶の為、当時は4年に1度オランダ商館長が江戸まで行くことになっていた(江戸参府)。
文政9(1826)年にカピタン(商館長)スチューレルが参府していますが、シーボルトはそれに随行しています。
日本人を連れてあちらこちらを調査しながら付いて行った。

シーボルトはこの2年前に出島近郊に鳴滝塾という診療所・塾を開いていました。
各地から鳴滝塾で学んだ門人たちがシーボルトを訪ねてくる。
また江戸でも島津重豪(斉彬の曽祖父)をはじめ、最上徳内など当時最高峰に位置する知識階級の人々とも面会しています。
その中のひとりが高橋景保であり、間宮林蔵でした。

このシーボルトとの交流の中で高橋はクルーゼンシュテルン『世界周航記』と交換する形で日本地図を渡してしまいます。
それが幕府に露見し、結果として死罪被申付ことになった。


なぜシーボルトの地図所持が露見したのか。

文政11年9月、長崎には超大型の台風が上陸し出島は壊滅。 
出島だけでなく長崎でも家屋は千数百戸倒壊、数百人が命を落とすという大被害が出ています。
当時オランダのハウトマン号という船が出島に繋留されていたのですが、この暴風雨に耐えられず対岸に打ち上げられました。

長崎に外国船が入港する際、積荷の検査が行われます。
これをクリアしてからでないと入港が出来ませんでした。
ハウトマン号も再入港ということで検査が行われたのですが、そうしたら地図や葵の紋付帷子など、国外持ち出し禁止の品が出てくる出てくる…… 

…というのがシーボルト事件の切欠になったというもので、これが長い間の通説でした。
百科事典などでも同様の説明が。笑
私も長いことそうだったと信じていた!
ね!ジゴロウさん!(巻き添え)


で、何年か前にこれが真っ赤な嘘だと知りまして(笑)

これに関して梶輝行氏が通説を覆す発表されているのですが、雑誌『鳴滝』が手に入らん。笑
わざわざ取り寄せる程の興味も…と思っていた所、『歴史読本』(2010.11)に同氏の「検証シーボルト事件」が掲載されていた。
そしてつい最近『シーボルト年表』という本を見る機会もあったのですが、確かにおかしい。


実はこの台風云々の前段階として、こういう話がある。

江戸から出島に帰った後もシーボルトと高橋は文通しており、シーボルトは高橋を介して間宮林蔵に
「蝦夷地の植物標本を譲って欲しい」
という旨の書簡と更紗一反を送っていた。

間宮は外国人とのこうした私的交流は国法に触れるとして、シーボルトからの小包を開封せずに勘定奉行村垣淡路守に提出しています。
小包はそのまま出島に返送された。

では仲介になった間宮の上司・高橋はどうなのかと。
外国人と私的に交流し物品の贈答をし、しかも上司にも報告していない高橋はどないやねんと思われるのは自明の理。
ここから高橋とその周辺への内偵が始まった。

…というもの。

内偵が始まった中でのハウトマン号事件なのかと思いきや。


文政11年(年表は同上書を参考にしました)
5月11日
 高橋景保宅にシーボルト書簡到着、高橋は間宮に同封されていた小包を届ける
 間宮、小包を勘定奉行に提出、幕府が高橋の周辺を探索し始める

9月17日・18日
 暴風雨によりハウトマン号座礁。当時の積荷は銅500ピコルのみ(バラストとして)
 積込み予定の荷物はまだ出島の倉庫に
 これより以前、既に江戸より高橋とシーボルトの間に不審の筋有りとの知らせが長崎奉行に達する

11月16日 高橋捕縛、家宅捜査
11月17日 高橋尋問
 町奉行はシーボルトに渡った日本地図を取戻す為景保に大通詞末永甚左衛門、小通詞助吉雄忠次郎宛の書簡を送らせる
11月19日 高橋宅捜査。クルーゼンシュテルン『世界周航記』4冊他押収


・当時のハウトマン号の積荷は銅500ピコルのみ
・町奉行、シーボルトに渡った日本地図を取戻す為書簡を書かせる

あれ?笑
…話が大分違うんだけど…
シーボルト事件と台風で座礁したハウトマン号は全然関係ないよね。

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3 Comments

ジゴロウ  

はい、思ってました。

自分が読んだものには、以前から疑われ、目星つけられていたと知っていたので、出航に向かない時期なのに、シーボルトが頼んで出航させて、やっぱり台風にあって戻ってしまい、幕吏に調べられたとありました。

あと、地図は後付けで、外国人との交流を罪にしてしまうと、諸外国に叩かれてしまうから、機密漏洩にしたというのもありましたが、そのころはまだ、外国がそこまで日本に接触してないでしょうから、こちらはトンデモ説臭いですが…

2016/08/11 (Thu) 21:05 | EDIT | REPLY |   

ジゴロウ  

それと、ネタバレになるかもなので、具体的には書きませんが、さる大物の身代わりというのが、一番真実味があるかな~と思います。

長々すいません。

2016/08/11 (Thu) 21:25 | EDIT | REPLY |   

ヒジハラ  

>ジゴロウさん

ですよね!?
私は完全に信じていました(笑)

しかし諸説があったんですね。
次回に続きますが、船座礁といったアクシデントがあった訳でもなく、また謀略説等のややこしい話があった訳でもなさそうで。

間宮から発覚して高橋とシーボルトの尋問・家宅捜索から話が広がっていったという、こちらは従来言われてきた話のままのようです。
本当はこの話だけだったのに、いつの間にやら船の話が組み合わされて…という感じみたい^^;
リアル「何がどうしてこうなった」です。笑

2016/08/11 (Thu) 22:28 | EDIT | REPLY |   

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