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03 2016

間重富関係資料公開@大阪

今週末奈良に行く積りにしていたのだけれど、春日大社宝物殿がリニューアル工事中だった。
あの昭和臭漂う建物が一新されてしまうのはそれはそれで残念だわ…(大山祇神社の宝物館も似たような感じ。笑)
建物も随分古めかしいし耐震性等の問題もあったのだろう。

近い場所で伝源義家奉納の鎧とか伝源義経奉納の鎧を見ることが出来たし、義経直筆の書簡なんかも常設展で見れていたのだけれど、これからはどういった形で見られるのかな。


伝義経奉納大鎧 


特に義経奉納とされる大鎧は袖の部分、兜の吹返の意匠が素晴らしく、これは遠くから見ていたら分からんのだ。
ひっそり隠れている昆虫が探せんのだ。


オープンは10月1日で、リニューアルオープン記念の特別展が開催されるでしょう。
こちら結構な数の国宝や重文をお持ちなので、そういったものが出てこないかなと期待してます。
それはそれで楽しみ。


一番の目的が×だったのでどうしようかと思っていたのだけれど、ふと目にした大阪歴史博物館のHPで、


<●><●>クワッ

うおー!MAJIDE!
この告知が出されたのは6月1日。
この時はまだ未指定でしたが、流石にもう2か月経つので流石に正式指定されているかな?
関係資料は約740点ということで、思いの外の点数が多くて驚きました。


間重富と言ってもピンとこない方が大半だと思いますが、サイト・ブログで既出。
各々方、既出でござる(誰やねん
天文学者麻田剛立(天文と麻田/墓所@天王寺)の弟子で、改暦の際に師に幕府に推挙されて江戸へ出た。
この時江戸に同じく師に推挙されて江戸へ出たのが高橋至時(よしとき)で、ふたりとも寛政の改暦に関わっています。
当時の江戸に正しい暦を作れる人が居なかった為幕府にヘッドハントされたんですな。

高橋至時は大坂定番、玉造組の同心が天文方に取り立てられる。
間は商人でしたが、同じく天文方に(近代風に言えば)出仕、高橋同様天文方で中心的な役割を果たし、苗字を許されています。


このふたりは伊能忠敬の先生でもあります。
当時天文方のホットな話題は「地球の直径はどれぐらい?」というもの(正確な暦を作る為)。
伊能はそれを観測しようとして深川から浅草まで歩くのですが(地上の距離と星の高さから計算)、師・高橋から

それじゃあ計測距離短かすぎて使えへん(笑

と突っ込まれ、更に、

江戸から蝦夷までの距離を測ればもう少し正確性あがるんちゃう?

と言われ、蝦夷地を測量することに。
(※伊能忠敬セカンドライフの道楽)

そして何年かをかけて地図を作るのですが、その精度が凄すぎた。
伊能忠敬の成果物は幕閣を始め将軍にまで上覧され、最終的に日本全国の地図を作るという公的な事業となりました。
これが『大日本沿海輿地全図』が作成されることになった切欠。

間は確か大阪に帰っていました。
高橋は江戸で病死していますが、その後を息子の景保が継ぎます。
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2 Comments

ジゴロウ  

すげー!!!!
確か、間さんの家って、一回焼けて、それで重富自身が、江戸から帰ってましたよね?

大阪には、古い家だと、大塩平八郎の檄文が残ってたり、西日本て、東からみたら、すごい不思議な空間です…

2016/08/04 (Thu) 00:10 | EDIT | REPLY |   

ヒジハラ  

>ジゴロウさん

そうでした。確か火事でした(うろ覚え…

大阪も大空襲で焼け野原になっていますが、昔からの経済の中心地である船場や北浜の辺りは幸いにも戦災を免れた地域です。
ですので明治から昭和にかけての近代建築(含木造)も結構残っていますし、適塾も当時の儘残っていたり。
北浜には花外楼という大阪では有名な料亭があるのですが(木戸孝允命名で、維新元勲元老から昭和の有名政治家まで多くが利用)、沢山掛け軸等が残っています。
関西は近代の政治家関連の遺筆は少ないのでありがたいです。笑

商家の所蔵物等は表に出ないものがまだまだあるのかもしれないですね。

2016/08/04 (Thu) 07:17 | EDIT | REPLY |   

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