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13 2014

大坂のお奉行さん

先週の土曜日、多くのテレビ局がオリンピックの開会式を放送している中、とあるチャンネルが桂枝雀の特番を放送していました。
サイトの修正をしながら見ていたんですが、それで俄かに落語を聞きたくなってだなー
CDを出してきた。

落語は思いついた時に聞く程度なので、いつも程よく忘れてて何度聞いても笑ってしまう。
犬の散歩しながら聞いてて、信号待ちの時に女子にあるまじき吹き出し方をしてクラブ帰りの女子中学生を驚かせてしまった。ごめんね。 でも我慢できなかったんだ…(その時聞いてたのは枝雀の「替り目」)。

好きな演目は「佐々木裁き」と「次の御用日」です。
どちらにも大阪の町奉行が出てくる…というか、半ば主人公である。
後者はお奉行さんというだけで名前は出てこないけれど、前者は佐々木信濃守、と出てきます。
だから佐々木さんのお裁きで佐々木裁き。

落語の話にしては侮れないというか、描写が所々えらい具体的で、恐らく江戸時代生まれの人間が明治に作った噺ではないかと。 それは調べたことないけど、ここに出てくるお奉行さんは一度調べたことがある。
佐々木信濃守、実在の人物でして、佐々木顕発という。

幕末、嘉永安政の頃に大坂の西町奉行をした人で、っていうか、国史大辞典ではそれだけしか分からんかったわー(笑)
日本近世人名事典も見たけど、出ていなかった。
今思えば幕末が引っ掛かっているので、幕末維新人名事典を確認すればよかったかも^^;

江戸の町奉行は南北ですが、大坂は東西ね。
方角は管轄地域を表しているのではなくて、位置関係によるもの。
たとえば江戸ではこんな感じ。

江戸_奉行所

北町奉行所は東京駅の辺りで、南町奉行所は有楽町駅の辺り。
更に言えば単に町奉行というと江戸に置かれていた町奉行のことを指す。
地方にあった町奉行所にはその地名が冠され、大坂町奉行、奈良町奉行と言われていました。
そんな感じで、江戸町奉行とは言わない。

以前『武士の町 大坂』という本を読んだんですが、ここにあれと思う記述がありまして。
大坂町奉行の中には落語「五人裁き」で有名な佐々木信濃守顕則がいるって書いてあるんだけど、これ「佐々木裁き」で有名な佐々木信濃守顕発の間違いだと思うんだ。
いや、著者がね、専門家なんで、この前書いたみたいないかにも調べてません、一般書の面白そうな所書き写しました、っていうのではないので、私が知らないだけかと。
一応大坂町奉行歴任者を調べたけたけれど、佐々木信濃守は顕発さんしかおらんかった。
うーん…
他の誰かと勘違いしてるのでは…^^;

落語は好きなだけで詳しいわけではないのでググってみたら、「五人裁き」という西町奉行が出てくる噺はあるらしい。
図書館にCDはないのかと探してみたが地元にはなく、大阪にはあったけどそこまでCD借りに行く気には流石になれない。笑
『続続 復活珍品上方落語選集』に収録されていて、CDの説明があったので見てみたら、

”すでに滅んでしまい、平成の今日では、舞台に掛けられることのなかったネタや、稀にしか上演されることのなくなってしまった珍品を集めた落語集の第3弾”

あ、そうなんですか…
そういうネタを、流石にこの演目で有名な、とは言えないと思うので、うん、たぶん違う人のことを書いているか間違いだと…^^;

ちなみに大坂は誤字ではなく、江戸時代は大阪ではなく大坂。
読み方も「おおさか」ではなく「おおざか」です。


この本、かなり面白かったです。
江戸時代で大坂で武士というと、名前が上がるのはやっぱり大塩平八郎。
高橋至時の名前も今まで何度か挙げてきました。
高橋はもともと大坂定番の同心でしたが、天文の知識で以て幕府の天文方に引き抜かれます(麻田剛立の弟子)。
弟子には伊能忠敬がおり、伊能が日本全国を回って地図を作る切欠になった何気ない一言を漏らしたのもこの人物。
シーボルト事件の犠牲者になった高橋景保(書物奉行、兼任で天文方)の父になります。
高橋の話は今は措きます。

大塩平八郎はねー去年読んだんだよ、この人の本。
この人について書かれた本じゃなくて、この人が書いた本。
挫折しました。
ご想像の通りっちゅうかなんちゅうか(笑)
解説として書かれていた大塩の思想がどこからきているのかという思想変遷さえ難しく、まさしく文字の上を視線が滑ってただけ。
片手間に読むには難しすぎた。笑。

その大塩が起こした大塩平八郎の乱、わずか1日で鎮圧されるのですが、その戦の趨勢を決した人物が坂本鉉之助。
大坂定番の同心で砲術の専門家。
吉田松陰が会いに行ったこともある。
松陰は長州藩の軍学師範でしたので、恐らくその関係で話を聞きに行ったと思われます。

確かこの人物だと記憶しているのだけれど、当時の与力や同心は腐敗と怠慢が酷く、酷いものになると文盲といってもいい程、ということを書き残していて驚いた覚えがある。
その時は文盲、イコールで目に一丁字もないと捉えてびっくりしたんですが。
しっかしこの本を読んでみるとそんな状態では全くないなー
少なくとも町方与力は数ある役職を限られた人数で複数兼任しながら回している激職で、これはそこそこの能吏じゃないと無理だったと思う。
それに少なくとも江戸後期ごろにはお奉行さんが人脈を使って他から先生を読んで勉強会なんかも開いていたようだし。

文盲という言葉がだな、当時の武士社会と現在とでは意味が違うんですよね。
四書五経を修めていない、武士としての初等教育を修了していないということが文盲であって、字の読み書きができないということではない。
坂本の言う文盲ってどの程度なのよという問題が。
文盲云々で驚いた時は私はこの事を知らなかった。
それに当時は与力・同心=町奉行所の役人だと思っていたので、他の奉行所や定番にも与力・同心がいるとも知らなかった。
町奉行所の役人じゃなくて、他の所かもしれないし。
というか、そもそも坂本も町奉行所の人間じゃないというのに。

うーん…確かめたいなあ…
字面のインパクトに引きずられて、意味を正確に取らなかったのではないかという気がしてきた。
私あの内容、何で読んだんだろう。
中之島図書館の古典籍室で見たのは覚えているのだけど。さすがに15年ほど前で記憶が…

佐々木信濃守の時代は以前触れた天保銭が現役で活躍していた(笑)頃ですが、「佐々木裁き」にも天保銭出てたわー。
「とうひゃくを持てい」
というセリフがあり、「ひゃく」は「百」(天保銭=百文なので)なのは分かるけど、「とう」って何ぞや。
これまたググると、天保銭の裏には「當百」、つまり「百(文)に当たる」とあったそうです。
そうなんだ。

エースコイン

http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0070.jpg

には表面しかないからな!(笑)
あっちこっちでいろんなことが引っかかって面白い。


しかし国史大辞典を見た時に何に驚いたかって、佐々木信濃守の禄高が200俵だか300俵だったことだった。
一瞬見間違いか印刷の間違いじゃと思ったけど、他と見比べるとそのくらいの禄高で大坂町奉行をしていた人は他にもいて、中には川路聖謨をはじめ知っている人がちらほらいたなあ。
有能な人だったんだと思う。

江戸時代は役職は家格によって大方固定していますが、江戸の町奉行には有能な人が選ばれた。
旗本の出世街道の頂点が江戸のお奉行さんです。
仕事ができる本当の意味でのエリートで、ここにはさすがにぼんくらをもってはこられず、家格を飛び越えた人事がたびたび起こる。 大坂は経済の中心地でしたから、こっちも下手な人事はできなかったと思うなあ…

佐々木さん、大坂町奉行の前か後か忘れたけど、奈良町奉行と小普請奉行も務めてた。
もしかしたら京都所司代務めて幕閣に入ってるんじゃないかな。
(大坂町奉行→京都所司代→町奉行は当時のエリートコース)

順当に出世してたら時代的にこれぞ幕末って辺りにかかってくる訳だけど、あれ?これ、私どこかで名前ひっかけてるんじゃね?
落語とか好きになる以前に^^;
…なんか、そんな気がしてきた…
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2 Comments

ジゴロウ  

この人たしか、谷中霊園にお墓があって、なんかでみた解説に、南町奉行や外国奉行やってたってありましたから、その辺りでご覧になられたんではないでしょうか。

大阪から南町奉行ってので、なんとなくそれだけ覚えてます。

2014/02/13 (Thu) 23:23 | EDIT | REPLY |   

ヒジハラ  

>ジゴロウさん

おおお!そうなんですか!
江戸でもお奉行さましてたんですね。
外国奉行までしているのなら、どんな人物だったのか、比較的簡単に調べられそうですね。
ありがとうございます^^

2014/02/14 (Fri) 05:42 | EDIT | REPLY |   

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