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03 2015

阿南惟幾像@広瀬神社

8月22日、大分県竹田市の広瀬神社に建立されたばかりの阿南惟幾像。
7月の産経新聞(夕刊)にも結構大きな記事となって出ていました。

阿南自身は東京出身ですが父が竹田出身、阿南の本籍地も竹田にあったということで、竹田ゆかりの人物という扱いのようです。
細かい所はサイトの系図をご覧頂いたらいいのですが、広瀬神社の初代宮司を勤めた広瀬末人海軍中将の親戚でもある。
恐らくそうしたこともあり、阿南の顕彰碑も広瀬神社の境内にあったのだと思う。


阿南惟幾像


今年が戦後70年ということでの銅像建立であったようです。
阿南を顕彰するというのはこの方の立場からして、このご時世では中々難しい所があると思うのですよ。
といっても10年、15年ぐらい前と比べると隔世の感があるように思いますが(良くなっている)。
近現代は時代が近いだけあってまだ歴史的評価が揺れている所もあり、人物の評価が難しいからなあ…
ただ歴史や人物像を見直す切欠になったり、そういう風潮が強くなってきているというのは、歓迎すべきかな流れかなと。

そう言えば去年だったか、ちらと見たのですが、広瀬の銅像も移転問題が出ているというか…
その話が今どうなっているのかは知らないのですが。
要するに軍国主義の象徴を公共の場に云々とか、そういう声もあるということで。
まあ…色んな感じ方というか見方はあると思うのですが。
軍人というだけでそういう見方をされるのはちょっと切ないなあ。
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阿南惟幾

2 Comments

takerufamily  

阿南中将像のこと

H.27.6.22に顕彰碑のそばに銅像をつくるために寄付をしたのは
中津の梶原直でした。梶原直は6月初旬に86歳で他界して
おりますが、H.26.9月に顕彰会のほうに寄付しているようです。彼は陸軍士官学校の60期の入隊でそのいきさつのなかで
阿南氏に直接の薫陶を受けたとしておりそのことが人生の分岐点
となったとしております。その後彼は医者となり、その後の人生
を送ることとなりますが、彼のの残した自分史ーお能と出会って
という本が大分県立図書館、中津市立図書館などに蔵書が
あるようですが、阿南とのエピソードについては書かれていませんがかれのそれ以外に人生について書かれています。

また阿南とのエピソードについては最近の大分合同新聞にも
記事があるようです。

私は直の長男です。
何かお聞きになりたいことがありましたら、メールでどうぞ

2015/10/08 (Thu) 07:48 | EDIT | REPLY |   

ヒジハラ  

>takerufamilyさん

御父上様のご逝去に謹んでお悔やみ申し上げますと共に心からご冥福をお祈りいたします。

10月5日の産経新聞に阿南大将の胸像に関する記事が出ていまして、そちらに

「建立を提案したのは同県中津市の医療・社会福祉法人理事長、梶原直氏である」
昭和19年陸士60期として入学、終戦後に久留米医大に入り直し医師の道を歩んだが
「今の自分があるのは士官学校時代、大将の薫陶を受けたから。教育の大切さを訴える意味でも胸像を建てたい」
と念願していた。

とあり、お名前には触れておりました。

同記事には阿南大将に対する大分県内での認識や評価が非常に高い事にも触れられています。
大分県全体に共通する見方であるという点に驚いたのですが、銅像建立を実行に移された御父上様はその気持ちを代表されるおひとりだったのでしょうね…
個人的にはこのご時世で阿南大将の顕彰碑以上の顕彰は難しいだろうと思っていましたので、余程強い思いをお持ちだったのだろうと敬服いたしております。

この度はご丁寧にコメントを頂きましてありがとうございました。

2015/10/08 (Thu) 22:37 | EDIT | REPLY |   

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