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02 2014

江戸の通貨

江戸時代の武鑑のことが今読んでいる本に出ていまして、これがなかなか面白いです。
武鑑というのは幕臣や大名の紳士録みたいなもので、池波正太郎の時代小説でもよく出てくる。
『剣客商売』で秋山小兵衛が不二楼のおもとに「武鑑はあるか」と尋ねるシーンが何度かありますが、それです。

公認されていた版元がふたつありまして、ひとつが出雲寺、もうひとつが須原屋。
前者の方は幕府に納め、後者は市販していた。
並行して『明治商売往来』を読んでいるのですが、偶然にも須原屋の話が載っていて、おお、と。
なんでも薬も扱っていたようで、婦人病の順気散という薬で有名だったそうです。

『明治商売往来』の著者は仲田定之助といって、明治21(1888)年、東京生まれ。
この本には仲田の子供のころの思い出が結構綴られていて、明治30年代~40年代の話が多い感じかな?
なかなか面白いです。
で、読んでいてちょっと驚いたことがあった。

今まで何度か触れたことがありますが、天保通宝という江戸時代の通貨があります。
額面は100文。
だけれども実際の価値は80文程度で、
 →(100文に)ちょっと足りない→ちょっと足りない→(頭が)ちょっと足りない
要するに 天保銭=バカ という意味があった。
ちなみに陸軍の陸大卒業者は天保銭組といいます。
卒業徽章が天保銭に似ていたから。
このあたりの詳しいことはサイトの「近世⇔近代 天保銭」に書いていますので、興味のある方はそちらをどうぞ。

明治維新後、日本も新しい貨幣を発行するわけですが、だからといって明日から新しい貨幣しか使えなくなる、というわけではありませんでした。当然ながら。
今でも聖徳太子のお札が使えるのと一緒で、暫くは封建時代のと明治時代の貨幣が混在していた。
で、仲田の本を読んでいたら、駄菓子を買うためのお小遣いに江戸時代の貨幣を貰ったこともあるってあるのよ。
仲田がお小遣いを貰って駄菓子を買っていたような年齢って、明治20年代半ばから30年代前半だと思う。

大きな天保銭は八厘に、
寛永通宝は、大きな波形の模様があるのが二厘、小さいのが一厘に、
そして文久通宝は一厘五毛に通用したのである。


純粋にこの頃でも天保銭が使われていたことに驚いたのですが、軽くスルーした寛永通宝…
ちょw寛永通宝てwwいつだよwww
銭形平次じゃねえか(笑)(@観音寺)
さすがに驚きました^^;
一体いつまで通用してたんですかね、江戸時代の通貨…

***

出かけ先で見つけた。
海軍カレーコーナーができとった。笑

http://blog-imgs-58.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_01290282.jpg

海軍カレーって青のパッケージに碇マークの位しか印象にない。
そういえば五十六カレーっていうのもありました。いろんな種類が出てるんだね…
後はイチゴカレーとかメロンカレーとか、栗カレーとか。
あちこちのカレーや猪肉とかトド肉とか熊肉とかの変わった缶詰、お菓子なんかが来ていて、なんだか妙な空間だった…
函館のお土産で土方歳三チョコというのも。
ご当地ものも面白いよねえ。見たことないものが沢山あったわー(笑)
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