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07 2015

固め修めし大八洲(7)

読んでるよーと声を掛けて頂いて嬉しいです。
拍手をしてくださっている方もありがとうございます^^
反応があるとやる気が出るわー(現金)

そして伊藤博文の話になると熱くなる。
大好きなんです伊藤博文。近代の政治家で一番好きだ。

前回の話、非常に単純化してます。
さすがにあそこまで簡単な話ではないのだけれど、バサッと大枠を掴んで。
歴史は大きな流れが分かると細かい所も分かりやすいから。

日清戦争後~日露戦争前の政治の大きな課題は、軍拡の費用をどこから持ってくるか、です。
大体において地租増徴案がネックになって内閣が倒壊し、議会が解散されている。


**


大隈重信、板垣退助の隈板内閣が成立したのは明治31(1898)年。
成立間もなく…というか、内閣成立前より旧進歩党派と旧自由党派で分裂、結果4か月で内閣空中分解。
その後に組閣したのが山縣有朋です。
これは前々回触れた第2次山縣内閣で、33年に文官任用令と軍部大臣武官制度を導入した内閣になります。

で、この内閣の時に地租が上がってるのね。
民党はどうしたという話ですが、旧自由党系の憲政党(星亨)が政府と提携している。
山縣と憲政党が妥協して地租を2.5%から3.3%に引き上げています。


https://blog-imgs-72-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/20155602.jpg (下の→)


但しこれは明治32(1899)年から5年間、つまり明治37(1904)年までの時限立法だった。
これでとりあえずは財源確保!
これ以上は何にもなし!…かと言われたらそうではない。

第2次山縣内閣の次、第4次伊藤博文内閣でも増税案(建艦補充費用捻出等の為)が提出されていますし、その次の桂太郎内閣では地租増税の5年制限を無期限にする案を議会に提出しています。
当然野党第一党である政友会(自由党系憲政党が母体)は猛反対します。
それを伊藤博文が政友会総裁の立場ではなく、国家の元老の立場から、無理やり政友会に受け入れさせている。
明治36(1903)年。


桂太郎


ちょっとね、私もよく分からないのだけど、この5年時限立法の地租増徴継続案。
ネットで見ていたらちゃんと5年後の明治37年3月末で終わることになっていて、その直前に日露戦争が始まったので結局延長されたという記述がある。
桂内閣と政友会の妥協がすっ飛ばされてんだが。
流れが繋がらない…
結局5年間では終わらなかったことは確かなので、結果としては一緒と言っちゃ一緒なのだけれど。
サイトに移す時にはちゃんと調べときますわー
すまーん。


日清戦争が終わってもロシアの脅威に対抗するために軍拡に次ぐ軍拡が継続され、当時の政治の課題はその軍拡費用をどこから持ってくるかでした。
具体的には地租増徴、消費税などの間接税の導入・増税が挙げられる。
今まで書いてきた通り。
じわじわじりじり国民にかけられる税金が上がっていく。


そして明治37(1904)年2月、日露戦争が始まります。
ではその戦費はどこから調達してくるか。
よく知られているのは高橋是清の外債調達ですが、勿論これだけではありません。
国民にはさらに税金がかけられる。


日露戦争中、桂内閣は2度にわたって「非常特別税」という臨時増税を導入しています。
戦争が始まってしまうと流石に政府と議会が反目しあうような状態ではありません。
まさしく挙国一致の様相で、反対も出ずにスムーズに可決。

具体的には地租、所得税、営業税、酒税、砂糖税の増徴、石油消費税、毛織物消費税などの新設。
塩と煙草は専売になった。
煙草の話は生方敏郎(明治15年生、ジャーナリスト)の『明治大正見聞史』にも出ています。
曰く、政府の専売になると不味くなることは分かっていたがみんな我慢した、云々。
非常時だからねえ…

そして臨時増税なので、この非常特別税にも時限がありました。
日露講和が成立した翌年末まで。
制限があるし、そしてまさしく皇国の興廃この一戦にあるから、税金がどんどん上がってもみんなが我慢した。
(この話はまだ続きがあるのですが、それは後に回します。本当に違う話になってしまう)


日露戦争ってね、こういう中で遂行された戦争なんです。
日露戦争で活躍した軍艦も、こういう中で作られた。
ドラマ『坂の上の雲』で、

国民が爪に火を灯す暮らしをして軍艦を作った

という旨の言葉があった。
確か広瀬武夫のセリフだったと思うのだけれど、これ、本当そう。
明治天皇が宮廷費を出し、文武官が俸給の1割を返納し、国民が度重なる増税に耐えて、本当にみんなでお金を出し合って作った軍艦。
いつの時代の軍事費も国民のお金で賄われています。
それに違いはないのだけれど、こういう経緯を知っているから、余計に明治の、日露戦争頃の軍艦が私はいとおしい。


それがやね、まだろくに戦いもしない明治37年の5月に触雷で沈むわけです。(開戦は2月)
戦艦6艦の内の2艦、八島と初瀬が1日で沈んだ。
第1艦隊、即ち連合艦隊の基幹になる戦闘部隊の構成艦です。一番肝心な所。
戦闘力何割減で後どうしようということもあったと思うけれど、これ国民に対してどうやって言い訳するの?

初瀬は触雷の際に犠牲者が出ています。
だから隠せなかった。
ただ八島の方は全員無事でしたので、日露戦争後まで触雷で沈没したという事実は隠匿されています。

士気の低下が懸念されたこともあったと思う。
けれど、国民に対して申し開きできないという理由も絶対にあったはず。


つづく。


***


前回大隈重信の改進党と書いていましたが、進歩党です。
当時すでに改名してた。すいません。 
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伊藤博文 山縣有朋 桂太郎

2 Comments

ジゴロウ  

日露戦争の時の国民は、本当にキツい生活だったみたいですね。
祖父の知り合いも、弟妹を養子にだしたとか聞きましたし…

軍事費率48%とか、つい最近まで借金返してたとか、どさくさ(?)で、当時の臨時増税だけのはずが、今では一般の税金になってるのもありますが、日露戦争が尾をひいてるのかな…とか考えたりもします。

そんな中でも、もうけてる奴はもうけてるんですけどね。

2015/05/07 (Thu) 23:40 | EDIT | REPLY |   

ヒジハラ  

>ジゴロウさん

本当に冗談でなくキツいカツカツの生活であったと思います。

>つい最近まで借金返してたとか、どさくさ(?)で、当時の臨時増税だけのはずが

そうなんですよね。
私も何年か前まで知らなかったのですが、日露戦争の外債償還したのもつい30年ほど前だったりしますし。
借りる方から貸す方に代わっていたのでそこで完済したのかと思ってましたが、外債はそんなに簡単に返せるものではないそうです。
というか日露戦争の借金を自分の親世代が払っていたという事実に驚きが…

臨時増税の話はまさしくそうで、それはまた後で触れる積りでいます。
戦争ってそれだけ国の大きなシステムを変えてしまう大事件なんですね

2015/05/08 (Fri) 07:42 | EDIT | REPLY |   

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