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10 2015

サイト更新 広瀬武夫

■サイト更新 

・広瀬 【 意の向う処筆の随う処(9) 】

広瀬武夫3連パックの更新です。
「広瀬武夫論」「慮外」「ことのは」で、このページにしては割合真面目な話。

「ことのは」はロシア語の話で、相原七郎という人物の名前を出している。
この方恐らく広瀬武夫にロシア語の手ほどきをした一番初めの人です。
ロシア語で海軍に奉職していたようで、広瀬からしたら勉強の取っ掛かりとして声を掛けやすかったのじゃないかと思う。
ただ海軍さんは転勤が非常に多いので…
その上海上勤務なんかになると1年国内に戻ってこないことだってある。
マイナーともいえる語学の勉強を継続して続けるのはかなり大変だったと思います。

広瀬が相原からロシア語を習っていたのは明治24年頃だそうで、その間に『航南私記』の遠洋航海が挟まり、海上勤務が挟まり、日清戦争が挟まり、海上勤務が挟まり…
ロシア留学が明治30年ですが、それまで纏まった勉強時間を取るのがなかなか難しかっただろうと推察されます。
横須賀勤務なのに、ロシア語勉強のためにわざわざ東京で下宿を借りたりと結構な努力をしている。

ロシア語が話せたから、ハンモックナンバーが悪くても選出されたという事ではないと思う。
ちなみにHNは15期80人中64番です。
ロシアに行った当初も、恐らくそんなに話せなかったんじゃないかなあ。
というか、通じなかったのだとと思う。
幼児が話すような言葉から練習を始めているといった旨の本人の書簡があります。

同年に同期の財部彪がイギリス留学しているのですが、財部が昭和に
「将来の海軍発展の為、まず人物養成の必要ありとして明治30年に久しぶりに士官を選んだ」
と回顧しているんですね。

広瀬はロシア語で留学生に引っ掛けられたのはほぼ間違いないと思います。
ただ優秀であるからというより、人を育てるという意味合いでの選出が大きかったのではないかなーと。


…広瀬の為に書いておくと、勉強ができない人ではなかったんですよ^^;
兵学校には恐らく14番目で上位入校の域、後年の水雷術練習尉官教程は23人中首席で卒業しています。

広瀬は兵学校在校中に大きな病気をしていて、それで左足切断の寸前にまで至っている。
結局は治ったものの、それで3ヶ月入院しており、学業がかなり遅れたようです。

兵学校のハンモックナンバーは1号生徒時のテスト結果だけではなくて、在校時トータルの成績で出す。
他でどれだけ頑張っても3ヶ月丸々抜けるのはきついでえ。


***


先月中旬ごろから騒いでいたサイトのあれこれについて。

あれこれって…あーた。
改装という感じでもないと思うのであれこれですが、一段落ついたのでどんなもんだろうと。
多分見やすくなっていると思いたいのだけれど、IEで不具合起きてませんか(涙

IEでだけ表示がおかしい。
広すぎるぐらい開けている行間もつめっつめになっている。
firefox、googleChrome、ipadでも問題ないのに。
というかffとgCではきれいに見えていると思うんだけど…


しかし流石にこれだけ表示が違うと困る。


2015410_1.jpg


ある筈の行がない。
画像がなくなってる。勝手になくすな。
Hタグの字の大きさが滅茶苦茶。見出しの意味がねえ。

(4/11)直しましたorz 直ったよ~(涙)


2015410_2.jpg


DIVボックスの表示がおかしい。
IE、ローカルの状態で見た時は何の問題もなかったのに。

ちょっと調べようと思うのだけれど、これって全IEユーザーの見え方なの?
その辺りもよく分からない。
何というか不格好で申し訳ない。

というかどうせいちゅうねんというIEに対する怒りでいっぱいである。
(割とマジで)



更新の関係上広瀬武夫コーナーは一部そのままになります。
まあデータベースだしあまり見る人もいないだろう。


今回触ったのは文章のコーナーだけで史跡コーナーと創作コーナーは触っていません。
フォントを変更しただけです。
体裁が崩れている所があるかと思います。
というか触ってないので出てると思います。怖くて見れねえ。
目立つ処は追々直していくつもりであるので、ご容赦ください。しんどい。
すいません。 
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