Para Bellum

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20 2014

パラべラム~堀悌吉(14)

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この話は19回シリーズです。
サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 近代MTS > 明治~昭和 よりどうぞ。

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ロンドン海軍軍縮会議をめぐる話は、大きく3段階に分けられる。

今までの話① ロンドン。日英米の交渉で妥協案成立、全権が政府にこれでいいかと連絡(請訓)
今までの話② 国内。回訓案を廻り 政府と海軍、海軍部内での紛糾
今からの話  議会紛糾、統帥権干犯論争。政友会と軍令部系軍人、東郷平八郎を中心とする軍人が結託


・昭和5(1930)年4月1日に回訓案が閣議で可決、その日の内にロンドンへ打電
・東郷平八郎元帥・伏見宮博恭王 → 政府が決めた以上あれこれ言う筋合いにない
・加藤寛治軍令部長、末次信正次長 → 回訓後もまだ不満を口にし行動 → 浜口激おこ → 部内処理で一応解決





日本での回訓を廻る散々なすったもんだが一段落した後、4月22日、ロンドンでは条約調印の運びとなりました。
まだ国内で批准しないといけないけれど、とりあえずは一段落。

条約調印の3日後に総選挙後の特別議会(第58議会)が開かれ、貴族院衆議院に於いて幣原喜重郎外相が条約の経過について演説をしています。
大体の内容


・補助艦保有量は全体から見ると減ったが、我が国本来の要求と殆ど差異なし
・潜水艦保有量は主張していた保有量より相当縮小したが、英米2国との均衡は保たれる
・国防の安全は十分に保障されている





このあほー!!
なんて事言うんだ幣原ーー!!!

元々外交官とは思えないこの政治センスの無さ。


沸騰した鍋に漸く蓋をした直後、その時にこういう事を部外の、それも海軍を抑えた側の人間が言ったらどうなるか。
収まらぬ腹を収めた海軍がどう思うか。
それを慮る位の配慮がないのか。
いくらなんでも無神経すぎます。

ただね、この演説、海軍を全くスルーしていた訳ではありません。
幣原外相、吉田茂外務次官やその他の人々、山梨勝之進次官が集まった時に、演説の草稿だといって示されている。
その中に海軍としては不都合な字句があり、その場で気付いた幾らかを修正した。

海軍側はもう一度草案を熟読する機会を与えられると思っていたのだけれど、幣原はこれで海軍は了承したと考え、いきなり貴族院で演説してしまった。
山梨「えっ」
このコミュニケーションの(以下ry 
これにはまだ反対だと言い募る軍令部に加え、政府の方針に従えと言っていた伏見宮博恭王がブチ切れました…
あーあ…



4月下旬に帝国議会が始まると、最大野党政友会が政府攻撃を始めます。

【9】で書いたように、軍令部の同意を得ずに政府が条約調印したのは統帥権の干犯だと言い始めた。
政府と海軍とのごたごたを見て、倒閣に乗じるいい機会だと捉えたのが政友会の幹事長、森恪(つとむ)。
ちなみに森は瓜生外吉海軍大将の娘婿です。


森恪


回訓で既に決着した兵力量問題を統帥権干犯問題へとすり替え、政治問題化したのがこの人物になります。
その森の話に乗り、議会で政友会を非難したのが犬養毅であり、鳩山一郎だと以前触れました。
そして軍令部もまたこの統帥権干犯問題へのすり替えに乗った。

議会閉会後に財部彪海相が帰国するのですが、その頃には加藤寛治が統帥権干犯で上奏したいと頻繁に主張しています。
国防に不安がある旨の言質を引き出すために頻りに政友会幹部が岡田啓介を訪問したり、
加藤寛治の帷幄上奏を森恪が事前に知っていたりと、この頃軍令部と政友会は確実に繋がっていました。

そしてややこしい統帥権論争が、更にややこしくなったのが5月中下旬の財部彪の帰国。
世間一般的には軍縮が望まれていましたので、財部の帰国は熱狂的に歓迎されました。

が、条約反対派がどうであったかは推して知るべし。
彼らが財部海相を批難の的にするのは当然と言えば当然でした。
この動きに反財部勢力が加わっています。



財部は山本権兵衛の娘婿である点から海軍薩派の後継的立場にいるように見られますが、実際はそこまでの力はない。
シーメンス事件で引退させられた山本の後ろ盾がありそうなものですが、山本はそういうことはしない。
この軍縮会議の際、紛糾しているから助けて欲しいと他から頼まれても、
「その立場にない」
一蹴である。
いつに限らず本当にそういう人なんである。
後の結果を知っているだけに、この時ばかりはその潔さに泣けてくる。

財部彪を支持していたのが山本権兵衛ではないとすると、海軍における財部の支持者(支持基盤)は誰かという話になります。
それが東郷平八郎なんです。
東郷元帥なんですよ。
だから困るんだよ。



財部の前任海軍大臣は加藤友三郎でした。
加藤はね、今まで何度か触れてきましたが熟考果断、深謀遠慮、
加藤寛治が大臣の首を挿げ替えようと人に持ちかけたことがある程の独断専行ぶりであったけれど、
頭脳の明晰さと半端ない腹の据わり方で海軍省内を掌握、
日露戦争時の連合艦隊参謀長であったという敬意を払われる経歴もあり、
ワンマンながら海軍のカリスマでした。
冷静だけれど、中身は大分熱い人だったようで、人望もあったようです。


https://blog-imgs-49-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/rengoukantai.jpg


加藤友三郎と言えば、小説から日露戦争時の参謀長であったというイメージが一般的には強いと思います。
が、実際には海軍省での勤務が長い人でね、明治20年代~日露戦争前に7・8年軍務局に勤務している。
日露戦争後は軍務局長、海軍次官を合わせて3・4年、大正4(1915)年からは8年海相(現職総理兼海相として死去)を勤めていて、艦隊勤務より陸上勤務の方が長いと思う。
海軍軍人としては絵に描いたようなエリートコース、軍政(と軍政実務)のまさにエキスパート。

この加藤の時代に海軍省や軍令部といった海軍中央官衙に中堅が育つんですよ。
それが加藤の支持層になっている。
それにこの人は井上良馨や東郷平八郎といった元帥を含む先輩や島村速雄といった同期同僚らからの信頼も厚い。
ワンマンなので、やっぱり反発はある。
あるけれど、ほぼオールラウンドに支持者がいる。


続く





なんだか急に寒くなってきました。
まだ9月だというのに厚手の毛布出してきた。
去年は10月でも暑かった記憶があるのだけど。
今年は本当に変な気候ですねえ…
天保の大飢饉かよ、と密かに突っ込んだり(※夏が来なかった)
体調を崩されないよう皆さんもお気を付け下さい。
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