Para Bellum

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13 2014

器量

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この話は3回シリーズです。若干加筆の上サイトに纏めて移行済み。
そちらの方が読みやすい。
題は 加藤友三郎の話 に変わっています。

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山梨遺芳録より (第10回)


秋山真之と佐藤鉄太郎の理論が元になっている対米7割論と88艦隊計画。
明治40年代から固持し続けて来たこれらを没にするというのが大正10(1921)年の海軍軍縮。

※対米7割論…アメリカの7割の兵力(主力艦の総トン数)があれば太平洋を越えて来た米国艦隊に日本が攻撃されても勝機はあるという理論

帝国国防方針(仮想敵国:陸軍→ロシア、海軍→アメリカ)もこれらを織り込んで考えてある筈なので、対英米6割を飲む、飲めるとなると、海軍的にはじゃあ今までの話って何だったの?となる訳で。
それに軍縮になるというと大規模な人員整理も伴う訳で。


当然海軍内部からは猛烈な反対があった。
どうも軍令部あたりの少壮士官が多かったようですが、その急先鋒になったのが加藤寛治になります。
カトカンは既に中将で、少壮とは程遠いんだけど…^^;
そしてその加藤の下にいたのが末次正信。


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加藤寛治はこの軍縮に専門委員として参加しています。
同じ加藤ではあるけれど、この条約に参加しないと海軍どころか国家が危うくなると高度な政治的判断を下した加藤友三郎とはものの見方が随分違っていて、この人は海軍至上で国防のためには7割は絶対堅持。絶対に譲れない。

加藤寛治は自分の事を「俺は8割感情で動く男だ」と評していますが、
もうまさしくそうだとしか思えない行動を取っていて、どうあっても加藤(友)が加藤(寛)の意見を容れないのを見て、
もの凄いスタンドプレーをぶちかまします。

加藤(友)に無断で本国の井出謙治次官や安保清種軍令部次長に絶対反対の極秘電報を打ったり(末次が起案)
更に加藤(友)無断で、以下のような発表をしたり。

「もし対英米7割が認められないなら、日本は会議を脱退する」

おい…

これには流石に加藤友三郎もブチ切れた。
本当に血の気の引く音が聞こえたんじゃないかと思う。
やり過ぎとか越権行為なんてもんじゃないよこれ。
一体何考えてんの…
この時ばかりは加藤(友)もポーカーフェイスをかなぐり捨てて「日本に会議失敗の責任を負わせる気か」と怒鳴りつけたという話が残っている。

加藤寛治日記にこの時の記述はないかと思ったけれど、簡潔過ぎて分からない。
こういう事をしてしまう加藤(寛)に加藤(友)は、
「君ももう中将なのだから、少しは下の者を抑えることを覚えたらどうか」
みたいなことも言っているのですが、それが果たしてどれほど伝わったか。


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全権大使は加藤、幣原喜重郎、徳川家達の3人でした。
しかし幣原が病気で倒れ入院、徳川はお飾りで役に立たず、加藤がひとりで多くの決断を行っていた。


加藤友三郎は独裁者型の優れた指導者であったように思います。
普段からやり方が随分独断専行であったようで、加藤寛治はそれが余りに過ぎると憤り、大臣の首をすげ変えようと名和又八郎に話を持ちかけた事がある。(※相手にされずに終わる)
すげえな寛治。

ただ、加藤(友)は自分の判断に全責任を負うというスタンスでいて、それがこの軍縮会議の時のスタンスでもあった。
頭脳の明晰さ、腹の据わり方、判断の正しさ。
熟考果断の人で、ワンマンでも尊敬されカリスマ的であったというのは、そういう所にあるようです。
加藤寛治だって楯ついていても随分尊敬していたようだし。
(加藤友三郎の死去後、海軍はどうなるのだろうという感想を人に漏らしている)


対英米7割という海軍のコンセンサスを押しのけ、自分の判断で6割の比率を受け入れること。
成功させないと国際的・経済的に国家が危機に陥る会議での全責任を負うこと。
これだけでもひとりの肩に乗せるにはかなりヘビーですが、そこに強硬反対派の代表である加藤寛治の抑制が加わる。

神経戦の会議から帰って来て、次の日の会議の準備をし、自説を曲げない寛治の説得をする。
精神的にも肉体的にも、ものすごいストレスであったと思われます。
元々体の調子が悪かった(大腸癌だった)上にそういう状況で、加藤友三郎は帰国後斎藤実に
「アメリカでは死ぬかと思った」
と語っている。
実際、神経をすり減らすことが多すぎて、止められているのにウィスキーでも飲まないとやってられなかった。


こんなことになって東郷平八郎元帥がなんと仰るか。

条約反対派がそんな伝家の宝刀を抜いても、加藤友三郎は、
「元帥は何もかもご存じだよ」
と言って笑うだけだったといいます。

ここがロンドン海軍軍縮会議時とは大きく違っているところで、ワシントンの時は関係者への根回しと海軍省部のトップの状況認識・情報共有と信頼関係がすごかった。


ワシントン海軍軍縮会議の時は、見ていると海軍省と軍令部のトップに人を得ていた感があります。
海軍省の方は海相が加藤友三郎で次官が井出謙治。
井出は加藤大臣がいない間の留守番でしたが、このふたり、見事な連係プレーだった。
加藤は情報を井出をパイプにして本国に流しています。
それも、本来なら正規ルートである筈の外務省を通さず、井出を通してまず首相・外相といった政府首脳、そして海軍上層部に情報を回して理解・了解を得ている。

そして何より軍令部長であった山下源太郎が加藤との信頼関係にあり、
諸々の状況から見て対英米6割でもやむなしと加藤の方針に同意していたことが大きい。


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軍令部次長の安保清種はどちらかというと加藤寛治に賛成であったようですが、それに軍令部の少壮士官も6割には反対していたけれど、その軍令部の中にあって上下を緩衝していたのが第1班長斎藤七五郎になります。
これは斎藤自身が自分の役目はバッファーだと友人に語っていて(伝記)、随分苦しい思いもしたみたいですが。


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そんな部内状況で、東郷元帥も加藤友三郎全権を信頼し満腔の同情をし、だから井出からは「安心して下さい」と連絡が来る始末(?)。
本当に元帥がなんと仰るかなんてレベルの話じゃなかったんですね…


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井出は潜水艇の先駆者として知られる人物ですが、こういう所もクローズアップして欲しいと思う。
加藤友三郎は井出を後継の海相にしたかったのではないかと思います。
ただどうもこの時の風当たりが強すぎて(加藤友三郎があまりに敵なしの為)、そうは出来なかったみたいだけど。 
山梨曰く、  

この人は、大臣の腹心で頭は鋭く、胆力があり、押しのきく傑物であった。
この人が失脚せずに、中央にひかえていたら、海軍の歩みもちがっていただろうと思う。


ワシントンの際は随員、ロンドンの際は次官で、両会議に深く関わった山梨勝之進からすれば、そりゃあ後者は歯がゆいことだらけだったに違いない。
歯がゆいというか、何故もっとうまくできないのかと歯噛みするような思いだったと思います。
ワシントンの時とは何から何まで違い過ぎた。
まあその話はまた気が向いたら書きたいと思います。
気が滅入るので正直言うとあまり触れたくないorz


知っている提督が沢山出て来たので、広瀬との関係を挙げてみる。笑。

加藤寛治 … 大親友のひとり 
山下源太郎 … M24-5の遠洋航海時の同僚。宿泊先で同じベッドで寝てる。何故。広瀬兄と仲良し(同期)
井出謙治・安保清種 … 戦艦朝日での同僚。朝日を盛りたてる為に頑張ってた3人トリオ
斎藤七五郎 … 第1回・2回旅順講閉塞作戦の指揮官のひとり


山下は日露戦争の際は軍令部、作戦の中心にいた人です(その下に財部彪)。
「米沢海軍」と言われたほど多くの人材を海軍に出した米沢の出身。
婚戚関係がエラい事になっていて、

宮島誠一郎(米沢藩)の
長女 上泉徳弥(12期 米沢) ←広瀬と柔道仲間
三女 山下源太郎(10期 米沢) ←広瀬兄と同期
四女 山中柴吉(15期 山口) ←広瀬と同期
五女 四竃孝輔(25期 仙台) ←山梨と同期
に嫁いでいる。

山下の養嗣子・友彦の伯母が黒井悌次郎(13期 米沢)の妹で、山下源太郎の媒酌人になったのも黒井。
さらに友彦の従姉妹が、山下五十六(32期 長岡)の妻。その媒酌人が四竃孝輔。
四竃は山本五十六の莫逆の友・堀悌吉(32期 大分)の媒酌人でもある。
で、さらに四竃の兄の三女は山口多聞(40期 東京)に、四女は奥宮正武(58期 高知)に嫁している。

さらに山本五十六の妻方の親戚には南雲忠一(36期 米沢)がいるそうで。
これは『聯合艦隊司令長官山本五十六』が映画になった頃に山本のお孫さん(お名前が山下から取って源太郎だった)が仰っていました。
インタビュアーもびっくりしてたけど、確かに結構びっくりするよね…



はい。
結構続きましたが、『山梨遺芳録より』のシリーズはとりあえずここでおしまいです。
…と言いたい所ですが、余滴として後2回、この連載では省いた話を更新します。
もう少しだけ続く。笑。
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