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20 2014

追憶(2) 秋山真之

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この話は4回シリーズです。
追記改訂の上サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 近代史 > MTS-ALL よりどうぞ。

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需要があるようなので続きます。
ありがとう。
そして青いよ!引用の嵐である^^;


4)清水光美 (36期。同期に南雲忠一、沢本頼雄)

○明治41年 橋立乗組み

橋立の乗組になった。艦長は有名な秋山真之大佐。
橋立は横須賀予備艦隊(司令官野元綱明少将)の旗艦であった。

私は少尉になったばかりで航海士を勤め艦長付きとなり、私用にまで関係するようになった。
艦長は時々上陸されて二、三日帰ってこない時もあったが、艦に泊まられるときなどは艦長室に呼ばれて、
艦長と共にジュータンの上にアグラをかきながら書物の整理を手伝った。

あらゆる方面の書物が雑然と堆く積まれてあって、これを分類して目録を作ったり抜粋するのだが、
その間折りに触れていろいろなことを話された。

「兵学校の卒業者たるものは大尉一杯まで生徒の積りで連続不断に本を読み、話を聞き、勉強しなければならない。
私は尉官時代俸給は殆ど全部読書に宛て、洗濯袋を持って古本を買ってきたものだ」

とも言われた。
また連合艦隊解散の辞について、「どうしてあんな名文が出来たのですか」と無遠慮に御尋ねしたら、

「名句名文など云うものは無造作に出来るものではない。
平素から読書の間に名文句に出会ったときは、これを書き留めて整理していた。
土井晩翠のような詩人でも、昔からの名句をカードに抜粋して引き出しに分類保存してあり、
例えば月夜の景色を詠まんとすれば、その部のカードをペラペラめくっている間にヒントを得るようにしていたそうだよ」

と言われた。



野元綱明は、広瀬武夫がロシアに駐在していた際、上司であった時期があります。
ウマが合わなくてね、広瀬もいろいろ悩んでいたようです。

そして後年、米内光政の上司にもなっててだな~…
米内しゃままで苛めてたらしい。
他にもいくつか芳しからざる話を目にしてます。部下にはちょっと意地悪な人だったみたい。

洗濯袋云々については秋山の同期である堀内三郎も話を残しています。
横道に逸れてしまいますが、出典元がちょっと手に入りづらい本だと思うのでこれも引用してみる。


本人から直接聞いた話だが、彼は新聞雑誌を読んでも、また書物を読んでも、
破いても差支のないものは、これはと思ふ様な大事な処を引き裂いて、洗濯袋
…此の頃でも呉れるだらう。あの兵学校で貰ふ洗濯袋だ…の中に入れて置く、

月に二三度は雨や風で何処へも出られず、また友人も来ん、つまらぬ日があるものだ、
さう云ふ時に彼は洗濯袋を引繰り返して整理する。
その中の要らぬものは棄てる。 大切なものはスクラップブックへ貼る。

斯う云ふ風に彼は一面天才でもあつたが、一面に於てはよく知識を集めたものだ。<略>
秋山はそれを少尉の頃からやつて居た。<略>
勉強する時間がないと云ふのは嘘だ。勉強しやうと思えば何時でもできる。
秋山はやつたんだ。
兵学校を出てからもやつたんだ。 <略>

処で、このポケツトに本を入れて置いて、遊んで居る時でも、酒を飲んで居る時でも、
ひよいと出して読むと云ふことは、 秋山の兄もさうらしかつた。

私の従兄に秋山の兄、即好古将軍と親友であり、陸軍大学も同期であつた陸軍士官が居つたが、
「秋山と云ふ男は妙な奴だ。酒を飲んで居てもひよいと本を出して勉強して居る」
と云つて居た。
兄と弟と何方が真似たか知らん。
或は秋山が兄から教へられたのかも知れない。

(※土原註:秋山が亡くなった時)
私は嘸(さぞ)万巻の書が蔵せられて居ることだらうと思つて居た。
処が驚いたことに何もなかつた。
恐らく彼は読んだことは皆頭の中に入れて仕舞つたから、本を残して置く必要はなかつたのだ。
尤も珍籍と云ふ類のものはあつた。


(「秋山将軍の勉強法」 海軍中将堀内三郎談 (『海軍先輩の逸話、訓話集 其の三』/海軍省教育局/S8))


秋山兄弟は揃って大変な勉強家でした…
ってゆーか従兄って誰ー!
陸大同期?陸大1期生って10人しかいないのよ!
堀内、兵庫県出身だそうで、1期生の出身地見てみたら兵庫の人2人いた。
藤井茂太と石橋建三。
どっちかなの?やだ、ホント誰なの。気になるやんか~


○明治41年 橋立乗組み 2

 


私が飯田久恒中将(<略>)からじかに聴いた話だ。

「日露戦争が済んで連合艦隊が伊勢神宮に外線報告参拝をした後、
秋山参謀に「観艦式当日には長官の訓示が要りますね」と云ふと、
うんと軽く頷いておられたが、東京湾に回航すると上陸したきり帰って来ない。
忘れているのではないかと心配になり、四苦八苦して何とか起案してみた。

押し迫ってから漸く秋山参謀は帰艦したが、これを見せると
「アアあれか、あれなら乃公が書いておいた」
と出されたのが、あの有名な連合艦隊解散の辞であった。
私は冷汗をかいた」。


私は冷汗をかいた。

(笑)
淡々と書かれてて笑ってしまう。
いや、なんてーか飯田さんお疲れ様でした…^^;
この話もよく出てるね。
しかしふらっと出て行って帰ってこないってのが多いな(笑)


秋山さんはこの訓示は永く後世に残るものだと重視し、推敲に推敲を重ねたものと思う。
長く艦に帰らなかったのも、上京中知己の学者に図って練りに練っていたのではあるまいか。

秋山さんは不世出の天才であったと同時に非常な努力家で、
自ら習得したものはよく整理して次第に累積長養されたもので、
彼の名戦術も名文章も決して偶然の産物ではなく努力の結晶と思う。

短い期間ではあったが、私は艦長付として秋山さんに仕えたことは、
私の四十年の海軍生活中最大の教訓で今に感銘している。
私は練習艦隊司令官になってからもよく当時のことを思い出して候補生の訓示に引用した。



この清水光美元海軍中将、私は全然知らない方だったけど、小柳資料中秋山について書かれている文章では一番印象に残りました。
勉強家、努力する天才。
言っていることが堀内と同じだな、と思ったのよ。


続く。 
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2 Comments

シロート・モネ  

読書家を自称する者としては、秋山真之の読書癖は興味深かったです。
でも私は記憶しておけない人間なので、飲みながら読書派の良古さんの方に共感します。(笑)

2014/06/23 (Mon) 13:02 | EDIT | REPLY |   

ヒジハラ  

>シロート・モネさん

初めまして。
私も好古兄の方です(笑)
しかし、コツがあるのでしょうが読んだものはみんな頭の中にしまってしまうというのは、すごい集中力と記憶力ですね…
反復学習派の私としては羨ましい限りです^^;

2014/06/23 (Mon) 22:37 | EDIT | REPLY |   

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