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tag: 瀧廉太郎  1/1

広瀬武夫、瀧廉太郎、鈴木虎十郎(4)

楽聖瀧廉太郎の親友、鈴木毅一の叔父・鈴木虎十郎が広瀬武夫の同期であったという話です。 そして鈴木虎十郎が兵学校入学前に身を寄せていた文豪坪内逍遥は広瀬の嫂の従兄加藤高明、広瀬の大先輩八代六郎と同郷、学校の後輩という何とも不思議な繋がり。 世間狭すぎ。   鈴木毅一が東京音楽学校に入学したのは明治29(1897)年のこと。 そこで2学年上の瀧廉太郎と肝胆相照らす仲となり、瀧のいる所に必ず鈴木あり...

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広瀬武夫、瀧廉太郎、鈴木虎十郎(3)

瀧廉太郎の無二の親友、鈴木毅一の叔父が軍人であったと書きました。 ハイ。 鈴木虎十郎と言って、海軍軍人でした。 明治18年に海軍兵学校に入学し、明治22年に卒業しております。 なんか聞いたことがある年代でしょ? そうなんです。 広瀬武夫の同期です。 何なんでしょうね、この繋がり。笑 あっちこっちで広瀬武夫と瀧廉太郎の線が繋がるなと、それが面白くて温めていた話でした。これ。 この鈴木虎十郎の青...

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広瀬武夫、瀧廉太郎、鈴木虎十郎(2)

瀧廉太郎は明治12(1879)年の生まれになります。 広瀬武夫は明治元年なので、ちょうど一回り違うことになる。 生まれは東京だけれど、父親が転勤族で瀧もそれについて地方を転々としています。 そして豊後竹田にやって来たのが明治25(1892)年の頃。 その頃にはもう音楽の素養が相当あったようで、ヴァイオリンやアコーディオン、ハーモニカも自由に弾きこなしていたといいます。 ちゅーか当時そんなもん持って...

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広瀬武夫、瀧廉太郎、鈴木虎十郎(1)

瀧廉太郎は東京出身になります。 しかし父親が大分県出身、瀧吉弘といって日出藩士でした。 このお父さん、なかなかすごい方でして、大久保利通にスカウトされて明治政府に入った人物。 大久保は岡藩の勤皇派のリーダー・小河一敏や豪商矢野勘三郎を通じて瀧吉弘を知っていたらしい。 明治7(1874)年佐賀の乱、大久保が佐賀に出張してきた際に、吉弘は大久保の知遇を受け上京することになりました。 初めは大蔵省、次...

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