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tag: 広瀬武夫  1/21

落ち穂拾い(3)

熊本の木葉、木葉駅から一番遠い所にあったのが乃木希典奮闘の地。神社の麓にありました。そしてこの神社の階段を上り切った所にあったのが薩軍砲営陣地跡。え…どういう距離関係…駅から歩いて30~40分位ではないかと思うのだけれど、ここに来る前に高月官軍墓地に寄っているので正確な所が分からない。西南戦争時、木葉には官軍本営が置かれていた時期があるので、官軍関係の史跡があちこちにあります。駅からの道をまっすぐ進むと...

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関重忠の日記抄

関重忠の日記(抄録)を見つけたのですよ~。関と言えば日露戦争が始まる前から戦艦朝日の機関長をしていた人物で、有名な写真を多く撮影しています。これもそのひとつ。前列右から3番目が広瀬武夫です。右隣は栗田富太郎。広瀬武夫には「約束を守れ」という道徳の教科書に載った話、切手を送る約束をした少年に万が一のことがあった時の為にとロシアから切手を送るという話があるのだけれど、その少年がこの関機関長の長男重広君...

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青森と盛岡つながり

借りてきた本に絡めてつれづれ。上写真はダイバーシティ関係で借りている外交官関係の本(内一冊はまったく関係ない)。欲しい情報があまりないのでそのまま返すつもり。そして珍田捨巳の本は早々に返却の憂き目にあったのであった…ごめんねすてみん。珍田捨巳は青森は弘前の人。クリスチャン。肝の据わった外交官として知られた人物で、後に侍従長を勤めている。山本権兵衛が内閣を組織した時に外相としての入閣を何度も依頼した...

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『徳川慶喜家の子ども部屋』

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『徳川さん宅(ち)の常識』を読んで、積読になっていた『徳川慶喜家の子ども部屋』を読む。面白い。著者は徳川慶喜の孫で大正10年生まれ。生まれる前に慶喜は亡くなっていたので顔を見たことはない。そして元将軍家は幕府が滅亡した後も色々な意味で凄かった…もうね、付き合う層が全然違う。当然ながら。姉妹の嫁ぎ先が大名家、皇族というのが普通である。親戚に普通に皇族がいる。笑というか、著者の姉が高松宮のお妃であった...

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撒饌

広瀬神社から撒饌を送っていただきました。毎年ありがとうございます。来年は行けると思うんです…(涙今年は軍神せんべいを頂いた!と思いきや…あらーん… 軍神せんべいじゃなくなっとるよ。武夫せんべいになっとる。中身は変わってなかった。笑せんべいの方にはばっちり軍神の文字が入っています。型が戦前のものだそうで、意匠を変えるのは流石に難しかろう。それはとにかく軍神せんべい、とっても久しぶりなのでおいしくい...

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