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tag: 大村益次郎  1/1

真田山陸軍墓地(2)@大阪

*****この史跡は5回シリーズです。追記改訂の上サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。サイト > WORKS > 史跡 > 近代 > 関西 > 大阪 よりどうぞ。*****真田山陸軍墓地(1)の続き。 維新後、新政府は軍の陸軍の中核を大阪に置きました。 新政府っちゅうか大村益次郎ですね。いずれ西日本でなにがしかが起こるだろうと見越してのことだったといわれています。 当たってるよ蔵六さんすげえ...

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大村益次郎@大阪

司馬遼太郎の『花神』に、緒方洪庵の息子が幼かった頃に塾頭であった大村に背負ってもらう(子守りで)場面があります。 私はそこが大好きでなんですが、その場面に出てくるひとりが緒方惟準(これよし)になります。 名前を知っている方も多いんじゃないかな~ この方、維新前にオランダ留学、帰国後(慶応4年)は明治天皇の侍医となり、維新後にはボードウィンと大阪府病院医学校、大阪軍事病院を設立。 その後は中央...

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大村益次郎先生寓地址・福沢諭吉誕生地

旧除痘館から大村益次郎先生寓地跡までぼちぼち歩きます。 2・30分位かなあ…寄り道しながら歩いていたのでよく分からない。 場所は西区江戸堀、フコク生命ビルの前。 大阪市立科学館・国立国際美術館を挟んで斜交いに福沢諭吉の誕生地があります。 科学館を目指していけば早い。 「大村益次郎先生寓地址」 寓居だと思ってた。寓地ですかそうですか。 大村益次郎が適塾に入ったのは弘化3(1846)...

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(13)江戸へ

高野長英の後釜として宇和島に入った大村益次郎。 適塾の緒方洪庵に紹介されてですが、宇和島で大村を招聘すべく動いていたのは二宮敬作と大野昌三郎という人物だったようです。 高野長英が宇和島に滞在した際、藩士数人に蘭学を教えていたと書きましたが、大野昌三郎はその中のひとり。 大村が滞宇していた際の身元保証人というか、後見というか、そういう立場だったということを読んだことがある気がする。 記憶曖昧ですん...

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(11)宇和島へ

大村益次郎(当時は村田良庵)が大阪の適塾に入ったのは、弘化3(1846)年、23歳の時。当時の塾頭は村上代三郎という兵庫の人で、この人は後に大鳥圭介(兵庫)と一緒に江戸に出ています。村上は伊東玄朴の塾に入ったようですが、大鳥は坪井信道の高弟(坪井の娘婿)の塾に入っている。…坪井信道、覚えてる?^^;佐久間象山が蘭学を勉強する切っ掛けを与えた人で、緒方洪庵の先生。高野長英とも知り合いで、酷い目に遭っ...

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