Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め。特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

サイト更新( 史跡:熊本城2/神風連の乱)

史跡 近代【熊本城(2)/桜山神社、神風連資料館】

熊本城×明治の続き。
今回は神風連の乱関連の石碑、史跡の紹介になります。
軽く神風連の説明から入っていますので、宜しくお付き合いくださいませ。

神風連は石光真清の『城下の人』を読んで非常に印象が変わりました。
この方々、人間的には非常に尊敬を集める人たちであったようです。
ただ以前書きましたが、神風連の人々は同時代の熊本士族にさえ理解されなかったようで、他党で敬意を持って賀屋や太田黒を見る石光の父のような人は少なかったようです。

また同じページで紹介している桜山神社は宮部鼎蔵を初めとする肥後勤王党、神風連の乱に参加し亡くなった人々を祀っています。
そしてこのこの境内にあるのが神風連資料館(神風連関連だけでなく、勤王等の河上彦斎の遺品も展示されていました)。
結構内容の濃い資料館であったと覚えています。
そして館の方と大分長いこと話し込んだんだよね…
個人的には色々と印象に残る資料館でした。

宜しければご覧くださいませ。
次から西南戦争だなー。うわー

***

メールを送付していただく際、確認をお願いしております「問い合わせの前に」を改訂しました。
ここの所困るようなメールもありませんのであれこれ省いて簡単なものにしています。
皆様にご協力頂いているお陰です。本当にありがとうございます。
ただ間違い指摘の所だけはそのままにしてあります。あれは大事。
まあ、何かあったらまた戻せばいいかなと思っていますが、戻りませんように…
うん…
引き続き宜しくお願いします。

***

拍手いただきました方、ありがとうございました!
続きに拍手の返信があります~
 

ボヘミアンラプソディ

20181111


初日に観てきました。
久々に前売り買って凄く楽しみにしてたんだ…!

良かったです。
泣くだろうなと思っていたんだけれど、最後のライブ・エイドが胸熱すぎて凄すぎて、やっぱり泣きながら見てた^^;
でも私だけでなくて、見に来ていた人大体泣いてたみたい(おじさん連中も。というか見に来てたおじさんたちはモロQueenの世代だよね。羨ましい)。
だってあんな再現度高いなんて思ってない!
フレディの動きも完コピやないか…

The Show Must Go On が好きなのだけれど、この歌はだめだ。
普通に聞いていて泣いてしまう。

My soul is painted like the wings of butterflies
Fairy tales of yesterday will grow but never die
I can fly - my friends

ここが好き。すごく好き。
どんな気持ちで歌うの、これを。
(フレディの死期が近い時期に作られレコーディングされた曲です)

そして映画でエンディングでこの曲を持ってくるという。
ファンを殺しに掛かってるとしか。

Bohemian Rhapsodyは日本語の歌詞を見た時はファッ!?となった(笑
そして作られたのが40年前ですからね。
凄いよね。
で、この曲がPVが世界で初めて作られたものだそうです。
しかも2時間位で作られたそうです。マジか。

フレディ、というかQUEENですが、親日家でした。
日本から火が付いたんですよね。
日本語の歌もあって(Teo torriatte)、初めて聞いた時は「あれこれ日本語に聞こえる…」でした。
驚いたなあ。
何でかなと思って調べたら親日家だった。
映画でもフレディは家で着物(っていうかという感じだけど)を着てましたし、陶器の置物もあったし、金閣寺の何かも壁に貼ってあった。笑
Bon Joviも日本から火がついて、それもあって親日家。
好きなバンドが親日ってとっても嬉しい。

もう一回見たいし、応援上映…
応援上映して欲しい…(9日に梅田でやってたらしいorz
一緒に歌いたい…(今まで馬鹿にしててごめんなさい…

真田山陸軍墓地

真田山陸軍墓地についての詳細はこちら「真田山陸軍墓地」をご覧下さい。

個人的には多くの方に知っていて欲しいと思う遺跡のひとつです。

遺跡と言うか史跡と言うか、墓地なんやけど…


場所は大阪の天王寺。

真田とあることから分かるように、大坂の陣で活躍した真田幸村縁の地です。

真田丸があったと言われている付近。



真田山陸軍墓地



地図に見えている三光神社、心眼寺いずれも真田縁の寺社になります。

その間に挟まれている。


真田山陸軍墓地は日本最古で最大の陸軍墓地です。

明治4年に作られてから大東亜戦争終結後までの個人墓碑約5100基、合葬碑、納骨堂(約8200人)がある。



真田山陸軍墓地

(手前のは日清戦争で、奥に見えているのは西南戦争で亡くなった方の墓碑)



国より国有財産無償貸与ということで大阪市が管理しているのだけれど、責任の所在が曖昧で、どちらも保全補修にお金を出さず押し付け合いになり、ここ迄至っています。



2014_05020755_R.jpg

(西南戦争での戦没者の墓碑郡)


上の写真は西南戦争で亡くなった方々の墓碑。

砂岩で出来ているため一際弱く、折れたり剥離剥落したり、2014年に訪れた際も本当に目も当てられない状態でした。


***



真田山陸軍墓地(2018/11/9)



9月の台風で真田山陸軍墓地にも被害が出ているらしいという話を以前書きました。
上の新聞記事は先週のものです。
大阪市長が国に改修の要望をするという内容。

その続報が昨日ニュースで流れていました。
吉村市長が菅官房長官に国立墓地として整備するように申し入れ、官房長官は責任を持って対応したい、ということで返答されたようです。
どうなるかなあ。

ただ、今の状態が行きたくもない戦争に行かされて亡くなった方に、それも国や家族のために亡くなった方々にする仕打ちだとは思えない。
市長の言うように、千鳥ケ淵戦没者墓苑のように国がきちんと管理維持するというのが、本当は一番だと思うんだけど。

真田山陸軍墓地、約5100基の内3分の2に崩壊の危険があると報道されています。
本当に早く何とか…

熊本にも官軍墓地が沢山ありますが、あれは管理はどうなってるんだろう。

「幕末・維新の人とことば」展@大阪城天守閣(1)

20181104



先日書いていた展覧会を見てきました。

結論から言いますと、思っていた以上に良かったです。

結構見応えがありました。



20181104



幕末維新150年ということで大阪でもいくらか関連する史跡案内などが出ています。

大阪城公園駅の構内にも写真のようなポスター?が貼られていたり…



20181104 



大河ドラマのタイアップもあると思うのだけれど、西南戦争関連の催しも開催されていた。

3日はOSKと旭堂南陵の立体講談で城山の戦い、天孫降臨霧島九面太鼓、4日は示現流の演武と和太鼓の演奏がありました。


こういうタイアップは今年一杯で終わりかな?

イベントごとがあってもせいぜい京都だろうと思っていたので、大阪城でこうした催しがあったのが個人的には少し意外でした。

大坂城、重要な政治的舞台にはなってたのにな…



20181104



今回は「幕末・維新の人とことば」展です。

去年は「幕末大坂城と徳川将軍」でした。行かなかった(気付いたら終わってたの


「人とことば」ということで、書や軸が展示の中心になっていた。

中心というか、それしかなかった。笑

ゆっくり読みながら歩く感じで、落ち着いて見られました。

朝一番で入城したので比較的空いていたというのもあると思う。



幕末維新とあるのですが時代はもう少し幅広くて、大塩平八郎から東郷平八郎まで。

この展示会を知ったニュースでは維新三傑の書が来ているという感じだったので、その程度なのかなと思っていた。これは嬉しい誤算でした。


私としては今回見に行って良かったのは、大塩平八郎と江川太郎左衛門関係です。

もはや幕末ですらない(笑

いや、他のも良かったですよ…



20181104

(大塩関係)



これって出典何なのだろうと思っていたのが分かったのが大きい。

後ろ3行目から


「たとひ銀の百枚が千枚になろう迚て、大塩さんを訴人されう(ママ)ものか」


『浪華騒擾記事』だったんですね!

大塩平八郎の乱で大坂市中は焼け野原になりますが、それを恨む庶民はいなかったといわれています。

その声を代表する戯れ歌が上記。

結構有名で紹介されることも多いものだと思うのですが、どこから引いてきているのか知らなかったんです。

分かってます。私の勉強不足です。

そうか、『浪華騒擾記事』だったのか。藤田東湖だったのか。

しかも解説を読むと、この情報を集めていたのが斎藤弥九郎でした。

そうなんだ。

というかこれ、江川の派遣で大坂行っとったやつか。

一緒に報告聞いたのかな?

あれ?これ『浪華騒擾記事』読まなきゃいけない流れ?^^;


斎藤は練兵館を開いた剣客です。

練兵館は幕末、江戸の三大道場のひとつで、残るふたつは千葉道場と桃井道場。

練兵館には桂小五郎、千葉道場には坂本龍馬、桃井道場には武市半平太といった幕末の有名人が門弟としています。


斎藤は剣豪として有名ですが、江川太郎左衛門の剣術の兄弟子になります。

練兵館を立ち上げる時に江川が援助してくれた。

というか、斎藤、江川の手代なのだ。優秀な部下なのだ。

品川のお台場の工事を指揮したの斎藤よ~

監督は江川。

そして藤田東湖も剣術の同門である。


大塩平八郎の肖像画が残っているのですが、その原本が8年前に東北大で見つかったというのも初めて知りました。


あと大塩の檄文。結構長い。



20181104 



版木刷りです。

文章の間に筋が三本入っているのですが、これは上から3等分して別々に版木彫りを頼んでいるため。

版木刷りの段階で計画が発覚することを恐れたんですね。

大塩の檄文は大阪の古い家には結構残されていると言われています。

私は初めて見ました。



つ、続く!

(まさかの大塩で終わり)


江川太郎左衛門と斎藤弥九郎に興味がある方は「string」をどうぞ。


(※江戸時代は大阪ではなく大坂です。読み方は「おおざか」)

田原坂、抜刀隊(産経新聞11/3)

IMG_6076.jpg


本日の産経新聞に載っていた。
あら、田原坂(タイムリー


IMG_6075.jpg


おい。

警視庁抜刀隊の主力は薩摩藩の郷士階級です。
会津を初めとする旧幕府側の藩士らが中心だったのは警視隊


いまだにこんな事書かれるのか。今朝新聞を読んで本気で驚いた。
この記者の方、参考文献なりなんなり確認されていると思うのだけれど、一体何を参考にしたんだろう。

新聞で書かれるくらいなら、そらー佐川官兵衛も藤田五郎(斎藤一)も抜刀隊にいたと思う人がいつまでもいる筈だよ…
いやいや、両者とも抜刀隊はおろか田原坂戦線に参加すらしていませんからね。
ふたりが参加したのは豊後方面ですよ。

ここまで堂々と間違った事を書いている記事を久しぶりに見て凄く気になりまして。
もしこの記事を見てそうなんだと思った方がいたら、嫌だなあと。
すいません、それだけです…